ふくいんのあしおと12 | ナノ





ふくいんのあしおと12

 呼び鈴を鳴らすと、少ししてから母親が出てきた。首元の開いた服とホットパンツ姿の彼女は、二十六歳になる息子がいるようには見えない。和信の顔を見て、彼女は顔色を変えた。
「わのぶ君、そのケガ、どうしたの? あいつらにやられたの?」
 和信は首を横に振った。
「これは違う。ちょっと絡まれただけ。母さん、俺、ちゃんと払ってきたから、安心して。それと、来月からの支払いは俺がする。母さんは自分のキャッシングの分、ちゃんと払って」
 岸本は話し合えと言ってくれたが、母親とその恋人と向かい合って話すくらいなら、自分が払うことにするほうが楽だ。彼女はあきらかな安堵を見せた。
「上がって」
「いい。この後、仕事だから」
 踵を返すと、背中に声がかかる。
「ありがとう、わのぶ君」
 感謝の言葉であっても、本当の名前を呼んでくれない。まだ許されていないのだと思うと、息をすることさえ苦しい。和信はくちびるを噛み、ただ前を向いて歩いた。

 会社へ出勤すると、予想通り家へ帰るようにすすめられた。母親に言ったように、ケガは絡まれただけだと説明した。課長は有給にしておくから、と明日と明後日も休めと言ってくれた。敬也からの暴力を受け続けていたせいもあって、岸本や課長の優しさがとても温かく感じ、嬉しくて涙を流した。
 鍵を開けて中へ入ると、帰宅している敬也の靴があった。和信がリビングへ進むと、彼はすでにシャワーを浴びており、寛いでテレビを見ていた。
「あれ? 仕事は?」
 和信は心臓が痛むのを感じた。息が上がる。何を言ったら、あるいは、何をしたら、彼の機嫌を損ねるのか、必死に考えた。
「和信?」
 起き上がった敬也が手の平を向ける。叩かれると思い、目をつぶると、額に当てられただけだった。
「おまえ、熱があるな。早くベッドに行けよ」
 敬也は冷蔵庫からスポーツ飲料を取り出す。
「ほら、早く」
 和信はまただ、と思った。何事もなかったような態度で接してくるが、何か彼の気に障ることをしたら、また暴力を振るわれる。
「……風邪、引いてるから、明日も明後日も休みにしてくれたんだ」
「そうか。じゃあ、六連休だな」
 ベッドへ横になると、敬也がスポーツ飲料を飲ませてくれた。
「おかゆ、作るから、その後に薬な」
「うん」
 いつもの敬也だ。和信は薬を飲んだ後、深い眠りに落ちた。

 翌朝、熱はすでに下がっていた。夕飯の支度くらいしておかないと敬也が怒るかもしれないと思ったが、ケガの痛みから体を動かすことが億劫になった。敬也はいつもの時間に帰宅すると、自分で用意をして食べていた。和信にはおかゆを温め直してくれた。
「和信、おまえがちゃんと俺のこと、愛してくれるなら、俺だって、あんなひどいことしなくて済むんだ。分かるよな?」
 敬也の言葉に和信は頷いた。以前の自分なら、「分かるわけないだろ!」と怒鳴っていたに違いない。ふたをすることに失敗した過去の記憶と、母親のことが同時に思い出されて、和信は無意識に楽なほうへ流されていた。自分さえ頷けば、すべてうまくいく。痛い思いをしなくて済む。
 敬也が体を抱き締めてくれた。どうして泣いているのか、自分でも分からない。彼の背中へ腕を回した。そうしないと、いけない気がした。結婚しても、自分を愛してくれるなんて、敬也は寛大だと思わなければならない。内緒でスロットをしていたことも煙草を吸うことも酒を飲むことも許してくれている。和信も敬也の欠点を受け入れなければ、対等ではない。
 これでいいのだと和信は自分へ言い聞かせた。

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