ふくいんのあしおと11 | ナノ





ふくいんのあしおと11

「すみません、多田さん」
 岸本はそう言って、熱いお茶を出してくれる。和信は首を横に振った。
「あ、俺、これを持ってきただけです。上野さんと面識はないけど、母から担当の方だと聞いて」
「そうでしたか」
 岸本が優しく笑う。上野は岸本の隣へ座り、和信がテーブルへ置いた銀行の袋へ手を伸ばす。それを岸本が制した。
「資料を持ってこい」
 上野は裏返った声で返事をすると、すぐに立ち上がり部屋を出た。岸本も扉のそばへ行き、近くを通った人間に何かを話す。男が足早に去り、そして、すぐ戻ってきた。岸本が手にしていたのは救急箱だった。彼は和信の隣へ、「失礼」と言いながら座り、ガーゼに消毒液を染み込ませる。
「いいですか?」
 声をかけてくれたが、返事をする前にくちびるの端やまぶたにガーゼが当てられる。
「っつ」
 消毒液が染みる。
「熱がありますね……いくら期日を過ぎていたとはいえ、上野が無理を言ったようだ。すみませんでした」
「いえ」
 岸本の手が左手に触れる。彼は少しだけ服を引き、上に引っ張られた袖口からのぞく手首を確認した。驚いて、手を引いたが遅い。彼は神妙な顔つきで金の入った袋を見た。
「あなたが作ったお金ですか?」
「作ったというか、俺、派遣社員で働いてて、その仕事のお金です。このケガはちょっとした、あ、そういう……何というか、そういう趣味なんです」
 怪しまれないように、と口から出た趣味という言葉こそ怪しい。だが、岸本はそれ以上は突っ込んで聞いてこなかった。上野がノックの後に入ってきて、青色のバインダーを彼へと渡す。彼は立ち上がり、また向かいの席へ移動した。その際に上野へ出ていくように指示したため、和信は立ち上がる。
「待ってください」
 呼び止められた上野が不思議そうにこちらを見た。
「あの、俺、俺がちゃんと返すから、もう母のところへ行かないでください。期日までに返済していないほうが悪いって思います。でも、この借金は母とは関係ない。母のことを脅さないで欲しいんです。今後は俺が払いますから」
 和信は言い終わった後、ソファへ座った。息が上がる。この後に仕事へ行っても、迷惑をかけるだけかもしれないと思った。バインダーを閉じた岸本が溜息をつく。
「翔太、おまえも座れ。多田さん」
 岸本の指先がバインダーをこつんと叩いた。
「この借金は平川耕二が作ったものです。あなたのお母様もあなたも払う義務はない。ただ、もちろん、こちらとしては回収できるものは回収したい。上野が提示した五十は平川が過去に払えなかった月の元金とその利息です。あなたのこの三十を足して、きっちり払って頂いたことになります」
 和信は頷く。
「これで、来月からは追いつくことになりますか?」
「ええ」
「……俺が払います。これからは、俺が必ず払います。だから、残金と金利を確認させてください。俺、毎月たぶん五万くらいなら、何とか、契約、そうだ、契約書、サインするから用意してください」
「待って」
 岸本が突然、敬語をやめた。和信は母親を喜ばせたい気持ちでいっぱいだった。自分が何とかすると約束した。約束を破れば、また失望させる。
「君の借金じゃないだろう。そこまでする理由は? 安易に契約書にサインするなんて言うもんじゃない。この三十はもらう。でも、今後のことは母親とその恋人と話し合ったほうがいい」
「一弥さんっ」
 上野が咎めるような口調で岸本の名前を呼んだ。
「おまえは黙ってろ。いいか、話し合った上で、それでも君が払うなら、君の月収に見合った返済額の相談をしよう」
 岸本は名刺をもう一枚、取り出した。裏に携帯電話の番号を書いてから、差し出してくる。和信はくちびるを噛んで頷いた。やくざに優しくされていると思うと、少し情けなく思ったが、岸本の優しさがどれくらい稀で大きなものかは分かっている。あふれそうになる涙を拭い、和信は礼を言って足早にエレベーターホールへ向かった。

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