ふくいんのあしおと10 | ナノ





ふくいんのあしおと10

 銀行で金を下ろした後、和信は三十建ての高層ビルを見上げた。このビルの三十階にKファイナンスが入っている。ちょうど昼休憩が終わって一時間ほど経っているからか、ホールにはほとんど人がいない。時おり、電車の中で感じた視線と同じものを感じた。頬の腫れは仕方がない。和信はこの後、仕事へ行くつもりだが、周囲の人間の反応を見ると、課長から帰れと言われる可能性は高い。
 高層階行きのエレベーターのボタンを押すと、すぐに反対側の扉が開いた。ポケットに入れている金を袋ごと握り締める。やくざと話すのは初めてだ。だが、ここはオフィスビルであり、取り立てに来た時は脅しを言っている彼らも、まさかここで暴行に及んだりはしないだろうと踏んでいた。
 フロアの右手側に会社名の入ったプレートが大きくある。和信は熱でもうろうとしていたが、冷たい取っ手を押して中へ入った。受付と思われる女性が親しみのこもった笑みであいさつをしてくる。
「すみません、上野(ウエノ)さんはいらっしゃいますか?」
「お待ちくださいませ。どうぞ、おかけになってくださいね」
 内線する前に、彼女が立ち上がって言った。振り返ると、ガラステーブルとソファのセットが見える。和信は素直に礼を言い、皮張りのソファへ腰かけた。左手に奥へと続く扉がある。木目調で温かい感じのする造りだった。
 フロアのほうが騒がしくなり、視線を向けると、黒服の男達とともにスーツ姿の男が入ってくる。男達の背が高いのか、彼の背が低すぎるのか、彼は男達に囲まれた状態で、まるで重要人物のように見えた。実際に地位の高い人間だと分かったのは、中に入ってきた彼に向って、受付の女性が立ち上がり、頭を下げたからだ。彼は笑みを浮かべて、「ただいま」と言った。それから、和信に気づき、女性へ視線を戻す。
「上野さんを訪ねていらしたそうです」
「翔太(ショウタ)を?」
 彼はもう一度、こちらを見て、頬の腫れやくちびるの端に目を留め、表情を曇らせた。彼は男の一人に小さく話しかける。
「どうせ下にいるだろ、呼んでこい」
 彼は男に指示を出した後、和信の前に立ち、少し屈んだ。
「どうぞ、中に入ってください」
 促されて立ち上がると、彼が扉を開けてくれる。中はいくつかのブースに分かれており、いかにもやくざらしい感じの人間はいなかった。彼の姿に気づくと、皆、「おかえりなさい」と声をかけてくる。彼はおそらく彼に与えられている部屋の扉を開けると、中のソファへ座らせてくれた。
「お茶、二つ頼むね」
 うしろについて来ていた男達にそう言って、彼は扉を閉めた。部屋の内壁は透明で、外から丸見えだったが、彼がスイッチを押すとすぐに白く変わる。向かいに座った彼は懐から名刺を取り出した。
「岸本(キシモト)さん」
「はい」
 名刺に書かれている名前を呼ぶと、岸本は笑みを浮かべた。どこにでもいそうな男は、少し幼い顔立ちに見えたが、その分、優しそうだった。ここがKファイナンスであることを忘れそうになる。だが、この会社は共永会というやくざが経営している。
「あの、俺、母に言われて、金を持ってきました。多田和信です」
 母親の恋人の苗字が分からず、とりあえず自分の名前を伝えた。岸本は頷く。
「その顔は上野ですか?」
 笑っているのに、意思の強い黒瞳が射てくる。怖くはなかった。不思議なことに、岸本はまるで自分を心配してくれているような気さえしてくる。ちょうどノックがあり、こたえる前に岸本が扉を開けるため立ち上がる。
「翔太、おまえ、手を出したのか?」
 小さいが殺気立った声が聞こえる。振り返ると、おぼんにお茶を乗せた上野が岸本に睨まれているようだった。
「な、何の話っすか?」
 上野は岸本の視線から逃れ、和信を見た。もちろん初対面のため、首を傾げる。
「誰? 俺、あいつのこと知らないんですけど……」
「向こうはおまえを訪ねて、金を持ってきてる」
 それを聞いて、上野の顔が変わった。
「おまえ、平川(ヒラカワ)のとこにいた女に似て……あ、そういや、あの女、今日中に三十、用意するって言って……え? 息子?」
 上野の混乱を見て、岸本が溜息をつき、和信の前に戻った。

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