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 名のない王はそのまま左腕をトキの体へ回し、抱き締めてくれる。トキは誰かに抱き締められたことがなかった。背中に回った腕が頭をなで、優しく頬へ触れる。抑えきれない感情が涙となって吹き出した。死にたい、というマイナスの欲求を消すように、名のない王が少し屈んで、トキのくちびるへキスを落とす。
「私に名を与えろ」
 トキは小さく、「ハルカ」と名を呼んだ。ハルカはトキのくちびるへもう一度キスを落とすと、舌でくちびるをなめながら、歯を立てた。トキのくちびるから血が流れ、それをハルカが飲み込む。ずっと左胸に当てられていたハルカの手が、かすかに動いた。トキが目を開くと、左胸に印が刻まれ、すぐに消えた。印は見えないが、ハルカが自分の中にいることは分かる。トキはそっと左胸へ手を当てた。
 トキがハルカと契約したことは、知られてはいけないことだった。次期精霊王と契約したとなれば、トキをめぐって王国だけではなく学園を巻き込んで対立しかねない。
 ハルカと契約してから、トキの体調はとてもよくなった。訓練の時も力が弱いとされていたトキだったが、力で相手を押しのけることができるようになった。学園長からの呼び出しはなくならず、トキは大人達の相手をしなければならなかったが、眠れない日はハルカが抱き締めてくれた。それだけでトキは幸せを感じた。
 命を絶つと決心していたトキの心を再び動かしたのは、まぎれもなくハルカの存在だった。

 契約を交わして三ヶ月後に、学園長からどちらの王国へ仕えるか選べと言われた。どちらの王も奇異な性癖の持主だと続けられ、トキは学園を去ることに決めた。それから追われる身になった。だが、ハルカや精霊達のおかげで、これまで一度も窮地には陥っていない。
 ヒイロの森に着いたら、精霊王に許しを請い、できればハルカとともに過ごしたいと申し出るつもりだ。神聖な森に果たして人間が出入りしてもいいのかは分からないが、トキはハルカと一緒に生きたいと考えていた。ハルカもトキを必要だと言ってくれた。
 一千年も存在できる精霊王と長生きしても五十年ほどが寿命の人間では、時間の感覚が違うが、トキは契約が消えても、最期の瞬間までハルカの腕の中にいたいと思った。
「トキ」
 名を呼ばれて、すぐに目を開いた。赤い日がゆっくりと砂の中に沈んでいく。数時間おきに水と塩をなめなければ、体が動かなくなる。トキはふらつく体を支え、荷物の中へ手を入れた。
「もう少しでヤマブキを抜ける。ミカミ以東はまだ砂に浸食されていない」
 ハルカの声に頷き、トキはテントをたたみ、出発の準備を開始する。
「干し肉も食べたほうがいい」
 トキは言われるままに、干し肉を一枚取り出し、口へ含んだ。なかなか唾液が出ず、仕方なく歯で小さく噛み切る。
「俺も精霊になりたいです」
 硬い肉を何とか飲み込んだトキに、ハルカは笑った。
「人間を羨ましいと思ったことはないが、リチの実を頬張るおまえを見ていると、甘い、という味はどんなものか知りたくなる」
 ハルカは指先でトキの汗を拭った後、消えた。ミカミに着いたら、かごいっぱいのリチの実を食べたい。トキは地図を広げ、明るい群青色の空で光る星の位置を確認した。

 ヤマブキの森と名づけられた砂漠地帯の終わりは唐突に訪れる。石畳の街道が砂に隠れて足元に現れた。顔を上げると、木製の立て札で、「この先ミカミの街」というものと、「これよりヤマブキの森」というものが、それぞれの方向を指して立っている。トキは三分の一ほど残っていた水を一口だけ飲み、ミカミの街を目指した。
 ちょうど夕暮れ時だったが、今夜は久しぶりにベッドで眠ることができると思うと、歩く速度も上がる。砂漠を抜けたことを喜んでいるのか、精霊達も安堵しているような気がした。ミカミの街を越えれば、その先はヒイロの森への入口になる。もしかしたら、精霊達は帰郷が近いことを感じているのかもしれない。
 トキは目の下まで上げていた布を下げて、形のいいくちびるを緩ませた。精霊達にとっての喜びは、トキにとっても喜びだった。

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