あおにしずむ36 | ナノ





あおにしずむ36

 小走りになった瞬間、右腕を引っ張られて足がもつれた。大通りから路地へ引かれ、そのままさらに路地裏へ連れていかれる。ヤニックは突然のことに驚き、パニックになったが、よく見ると、腕を引いているのはティムだった。
「ティム!」
 声を上げると、ようやくティムが立ち止まった。
「何、いきなり、何で……」
 ティムの他に誰もいないか、ヤニックは周辺を見回した。振り返った彼が、建物の壁にヤニックの体を押さえつける。衝撃で肩に痛みを感じた。見た目はいつも通りの彼だが、何かを思い悩んでいるように顔色は悪い。殴られるかもしれない恐怖に思わず目を閉じた。
「何で、はこっちのセリフだろ! 何であいつのところにいるんだ?」
 責めるように怒鳴られて、ヤニックは萎縮した。暴行されるかもしれない、無理やりされるかもしれない、という恐怖から声が出てこない。ただ嗚咽が漏れた。
「どこまで俺を裏切るんだっ」
 押さえつけられた両肩が痛い。ヤニックは泣きながら、ティムを見上げた。
「ろ、ロビーと、しゃべ、っちゃいけない……? おれ、は、なにも、うらぎって、なんか……」
 言葉に詰まったのは、見上げた先にあるティムのブラウンの瞳のせいだ。今までずっと軽蔑と怒りに満ちていた冷たい瞳が、今は苦悶している。両肩の拘束が一瞬だけ緩んだ後、ヤニックはくちびるに触れた感触に目を見開いた。ティムにキスをされている。何も考えられない。ただ、どうして、という疑問だけが繰り返される。
 ティムは触れるだけのキスをした後、まるですべてを諦めたかのような瞳を見せた。泣いているのかと思うほど弱々しく見える。それから、彼は踵を返し、壁を拳で思いきり叩いた。ヤニックはずるずるとその場へ座り込む。
 どうしてティムが自分にキスをしたのか、まったく分からなかった。理解しようと考えをまとめたいのだが、涙があふれて邪魔をする。ヤニックはほんの少しの間、その場で泣いた後、ニシンの酢漬けを買って、ロビーの元へ戻った。

 混んでいた、と遅くなった理由を言うと、母親達は信じてくれた。学校は週末を挟んで月曜から始まる。日曜には帰ると約束して、ヤニックは助手席へ乗り込んだ。帰り支度はロビーがほとんど済ませていた。
 トラックの中で一緒にニシンの酢漬けのサンドウィッチを頬張る。三口ほどで食べ終わったロビーが、エンジンを始動させた。市庁舎前を迂回して裏へ回り、車道へと出ていく。
「ヤニック」
 まだ食べていたヤニックは、口を動かしながら、ロビーのほうを見た。彼は前を向いたままだ。
「目が赤いよ。泣いた?」
 母親でさえ気づいていなかったのに、ロビーにはばれている。ヤニックは最後の一口を飲み込んで、ペットボトルへ手を伸ばした。
「泣いてない……泣いたけど、嬉し泣きだから、平気」
 ミネラルウォーターを飲んでからこたえる。ロビーは信号で停止するまで、口を開かなかったが、一度停止すると、右手を左肩へ伸ばしてきた。
「っあ」
 ヤニックは思わず声を漏らす。信号が変わり、ロビーはギアを入れ替えた。その手つきが乱暴で、彼が怒っているのだと知れる。ヤニックはくちびるを噛み締めた。自分のために怒ってくれているのは分かるが、怒りや蔑みや悲しみの感情は、ヤニックにとっては苦しみを生じさせる要素でしかない。ロビーにまでマイナス感情をむき出しにされたら、ヤニックは自分の拠りどころが消えてしまう気がした。
「家に帰ったら、まずは手当てしよう」
 まるでヤニックの心情を読んだかのように、ロビーが静かに言った。
「怒ってない?」
 涙をこらえながら聞く。ロビーは苦笑いを浮かべた。
「嘘をついたことには怒ってるよ」
 その言葉を聞いて、ヤニックはそっとくちびるへ触れた。ティムはどうしてキスしたのだろう。嫌がらせとしか考えられない。もし自分のことを好きなら、ロビーみたいにちゃんと言ってくれるはずだ。そして、あんなことはしないはずだ。ヤニックはあんなことを思い出して、心が苦しくなった。嘘はついていないが、話していないことがある。手当てがあるからか、ロビーはなるべく早く帰ろうとスピードを上げていた。

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