あおにしずむ22 | ナノ





あおにしずむ22

 三人が出ていった後、ヤニックは立ち上がることすら辛い中で、リュックサックを手にした。夏ならここで眠れただろう。だが、暖房のないロッカールームでこのまま一晩過ごすわけにはいかない。
 今夜は夜勤で母親がいない。この姿をさらさずに済むのは好都合だ。ヤニックは腰を押さえながら立ち上がった。足を出すたびに鋭い痛みが背骨を走ってくる。男なのだから、これくらい我慢しなくてはいけない。小学生の頃、母親と離婚した実父のことを思い出した。酒ばかり飲んで、母親に手を上げていた男だ。
 暴力を振るう男は最低だ。校舎の裏口から鍵を開けて、外へ出る。うっすら雪が積もっていた。ヤニックは月明かりを見上げて、涙を拭った。力で相手を押さえ込もうとするのは最低だ。屈してはいけないと思っていたのに、怖くて、痛くて屈してしまった自分はもっと最低だと思いながら歩いた。
 自分はゲイではない。ヤニックはぼやける視界に喉を鳴らした。心に思い浮かぶのは肩を抱いてくれたロビーだった。もし、彼が好きなら、彼とこういうことをしなくてはいけないのだろうか。この痛みに耐えることが愛になるのだろうか。ヤニックは混乱した思考の中で、自分が落下している感覚に陥っていた。沈んで、もう二度と浮上できないような息苦しさを覚えた。
 何とか家までたどり着き、濡れたパーカーや衣服を脱ぐ。血がついているため、母親に心配させないよう、ベッドに下へ隠しておいた。裸になり、シャワーだけ浴びて、鎮痛剤を飲み込む。ベッドへ倒れ込んだ後、すぐに眠くなってきた。
 明日は学校へ行けそうにない。母親が帰ってきたら、ベッドへ潜り込んで、風邪を引いていると言うしかない。顔には殴られた痕が残っているため、それを見られるわけにはいかなかった。

 ヤニックは結局、一週間、学校を休んだ。顔の傷は翌日には母親の知るところになったが、ティム達とケンカしたと言えば、そのままの意味で信じてくれた。早く仲直りしなさい、と言われて、ヤニックはあいまいに笑った。仲直りの方法がまったく分からない。
 携帯電話にはティム達からの卑猥な言葉がつづられたメールの他に、ロビーからの着信が何度かあった。ヤニックは出たい衝動に駆られながらも、結局、一度も出られなかった。窓際に置いてあるスイセンの鉢は枯れていた。
 学校に行くことが怖かった。放課後、またあんなことをされたら、と考えると、眠ることすらできない。一週間も休んだため、学校からはこのまま登校しなければ、落第にすると手紙が届いた。そのせいで、三日目から登校すると嘘をついていたことが母親にばれた。
 ヤニックは学校へ行くふりをして、土手で時間を潰していたのだ。出席日数は冬休み前から足りなかった科目があるが、真面目に登校していれば、ロビーみたいに進級した上で足りなかった授業に参加できる。イースター休暇に入る三月後半まで、真面目な態度で取り組まないなら、落第になる、と母親に泣きつかれた。
「あの男みたいになるわよ! 高校もまともに出ないなんて」
 学校の授業時間に合わせて、土手から帰ると、母親と口論になった。軽蔑する実父のようにはならない、落第しても卒業はすると言っても、彼女は聞く耳を持たなかった。年明けからクリストファーとうまくいっていないのは知っていた。だが、今、そのことを引き合いに出せば、彼女を傷つける。
 ヤニックは心の中に蓄積していく黒い感情を抑えた。暴力的な衝動を飲み込んで、耐えるよう自分に言い聞かせる。そのまま部屋へ逃げようとしたら、彼女が怒鳴った。
「あんたはあの男の血を半分引いてるの。このままいけば、あの男みたいになるわ」
 実父のようになると言われ、ヤニックは振り返る。泣きたかったが、母親の前で泣くのは嫌だった。代わりに彼女へ怒鳴り返す。
「うるさいなっ、母さんに何が分かる? 俺はあいつみたいにはならないっ、学校だって、ちゃんと行くって言ってるだろ!」
「一年落第したら、その分、お金がかかるの!」
「何だよ、結局、金のことが言いたいだけ?」
「うちが苦しいのは知ってるでしょう?」
 ヤニックは拳を握り締める。自分だけが責められている気がした。ティナが言ったように、ヤニックは顔だけが取り柄の面白みのない人間だった。頭はよくない。サッカークラブに入っていたが、運動が得意なわけでもない。身長も低い。この片田舎の都市から出ることもなく、安い時給と長時間の拘束を強いられる接客業界で働くのだろう。客は自分よりモラルの低い人間達で、毎日くどくどとクレームを受けるに違いない。
 将来のことを考えると、胸が苦しくなる。せめて今、この時だけは心から学生生活を楽しみたいと思うのに、それすら許されない。泣いている母親の姿を見ていられなくなり、ヤニックは乱暴に部屋の扉を閉めた。それから音楽をかけて、大声で泣いた。

21 23

main
top


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -