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edge30

 誰かに認めて欲しいわけではない。だから、一弥は弘蔵の言葉を聞いても悲しいとは思わなかった。だいたい、一弥自身、まだ貴雄をそういう意味で好きなのかと問えば、分からないとこたえるしかないほど、おぼろげな感情だった。
 弘蔵は一弥の感情を読み取るようにこちらを見ていた。
「女ってのは二種類しかいない。男をダメにする女と男を高みへ持ち上げる女だ」
「……俺は女じゃない」
 小さい声だが、はっきり言うと、弘蔵は表情を変える。
「女じゃない? 囲われているのにか? おまえ、貴雄が宮崎にいくら払ったか知ってるか?」
 清流会の裏組織に拘束されていた時、男は助けにきてくれた博人に五本指を立てていた。一弥が、「五千万」とこたえると、弘蔵は声を立てて笑った。
「五千万、か。宮崎がそんなはした金で応じるわけがないだろう。女じゃないと言うなら、貴雄にきっちり金を返せ」
 五千万ではないなら、いったいいくら払ったのだろう。一弥が考えていると、弘蔵が桁を上げろと言った。その単位に思わず唾を飲み込む。貴雄は五億円も払ったと言うのだ。
「馬鹿な……」
「そうだ、馬鹿だ。おまえはあいつをダメにする。組の中の様子が変わったことに気づかないか? あいつを慕っている男どもは、おまえを軽蔑してるだろう。女じゃないと言うなら、消えるか?」
 一弥は消えるという言葉の真意を探るように弘蔵を見る。
「貴雄から離れるのなら、以前の生活に戻れるよう面倒をみてやろう」
 弘蔵からの言葉に、一弥は考える。一瞬で決められることではない。以前の生活というのは、暗い部屋へ帰り、一人で食事をして、朝が来たら仕事へ行って、また暗い部屋へ帰る生活のことだろうか。もし、そうであれば、一弥は以前の生活には戻りたくはなかった。
 働くのが嫌なのではない。一人になるのが嫌だった。貴雄の女として囲われるのも嫌だった。一弥は自分がどうしたいのか、思慮をめぐらす。すぐには分からない。ただ、今の自分の現状が貴雄の迷惑になっているなら、やはり、彼から離れたほうがいいのかもしれない。
 一弥を観察していた弘蔵が口を開く。
「たいていの人間は俺を前にすると縮み上がるが、おまえはそうではないらしいな。そういうところに貴雄が惚れたのは分かる。だが、おまえはどうだ? 女じゃないと言うなら、あいつに何をしてやれる? ただ金を食うだけの虫か?」
 一弥は弘蔵の言葉にあおられないように、くちびるを噛んだ。女でいられないのなら、貴雄の前から消えろと言う。一弥からすれば、貴雄がこの世界へ引き込んだのに、今さら元の生活へ戻れというのは、残酷な話だった。
 理不尽なことを要求してくるのは、何もこの世界の人間だけの話ではない。一弥は貴雄のそばにいたいだけだ。だが、彼の女でいたいわけではない。
 そうなると、貴雄がいつだったか冗談で言ったように、彼の下で他の男達と同じように、彼のために命を差し出さなくてはいけない。そこまでの決意はまだなかったが、女でいるよりはましな気がした。
「共永会で……あいつの下で働きます」
 一弥が口にした瞬間、弘蔵の怒声が鋭い眼光とともに飛んできた。
「おまえは俺らの仕事をなめてんのか!」
 怒声に驚いた男達が、障子を開けて中をのぞく。
「そいつを納屋へ放り込んでおけ」
 男達の手が一弥を拘束するように体へ絡む。そのままずるずると引きずられ、庭を通り、納屋へ投げ込まれた。乱暴されるわけではなかったため、一弥は大人しく中から外の様子をうかがう。
 弘蔵を怒らせてしまった。当然のことだと思える。だが、今考えられる選択肢としては、それくらいしかなかった。格子の窓から庭を見ていると、敬司がやって来る。彼は格子越しに立つと、一弥に煙草を一本恵んでくれた。
「親父を怒らせるなんて、大したもんだな」
 敬司は今の状況を楽しむように笑った。ライターで火をつけた後、彼に返す。
「共永会に入りたいって言ったんだ」
 一弥が煙を吐き出すと、敬司は腹を抱えて笑い出した。敬司の護衛だろうか、少し離れたところで様子をうかがっていた男達が何事かとこちらを見ている。
「なるほど。貴雄が夢中になるのも分かる」

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