edge20
誇らしげに語るマサを尻目に、一弥はその音羽会から逃げ出した男というのが彼女を引っかけたサトウなのだと理解した。その男が見つかったということは、彼女に危害が及ぶ可能性は低い。
ただ、自分がここから解放されるかといえば、それはまだだろう。今の状況はすでにサトウという男とも彼女とも無関係のところで成り立っている。一弥が煙草をくわえて、火をつけようとテーブルへ手を伸ばすと、マサが先にライターを取った。
「いい。自分でつけるから」
一弥はマサの好意を断り、その手からライターを奪う。しばらく黙考していると、マサが、「そうだ」と立ち上がった。
「俺、炊事係も兼ねてるんで、晩メシの用意しますね」
「炊事係?」
「はい。外で買ってきた惣菜ばっかりだと、一弥さんの栄養が偏るし、飽きるし、俺、いちおう調理師免許だけは持ってるんです。嫌いな物はありますか?」
一弥はマサに揚げ物は苦手だと告げた後、立ち上がり、寝室へ向かった。山中達が運んできた紙袋から、衣服を取り出してはクローゼットへしまう。スーツのようなフォーマルなものから、ジーンズに至るまで、様々な服があった。そのどれもが、一弥なら絶対買わないような高級なものばかりだ。
長袖の薄いTシャツに、取り忘れたのか値札がついていた。五百円なら買ったかもしれないが、そのシャツ一枚を見ても、一弥にとってはゼロが二つ多い。
「俺の部屋の家賃並み」
呆れて独白して、一弥はベッドへ横になった。ここにいれば快適な生活だが、代わりに体を差し出さなければならない。男としての矜持を傷つけられてまで、この生活を受け入れたくはない。貴雄が自分のことを大事な人だと周囲に言ったとしても、その感情が一時のものであり、流されていくものだと、一弥は十分理解していた。
自分のことを不幸だとは思わないが、ついていないとは思う。結局、どんなにわめいたところで、一弥にできるのは貴雄が飽きるのを待つことだけだ。そして、捨てられる時に殺されるか、自分で死ぬか、どちらかしか残っていない。
なるべく感情を殺していよう、と一弥は目を閉じる。うとうとしながら、最後に考えていたことは、ほだされない、という言葉だった。
だが、目が覚めた時に真っ暗闇の中ではなくて、やわらかくしぼられた照明の光や、肩口にまでかかる毛布の存在に気づくと、ほだされない、という決意は揺らいでしまう。起き上がってリビングダイニングへ行くと、テーブルにノート型パソコンを置き、仕事をしながら夕飯を食べている貴雄がいた。
「体、大丈夫か?」
怠惰から昼寝しただけだったが、貴雄はケガの具合を気にしていた。一弥は特に返事せず、冷蔵庫から麦茶を取り出す。煙草を探していると、貴雄がボックスを投げてくれた。
「どうも」
一弥はキッチン側のテーブルではなく、カウチソファへ座った。火をつけて煙草を吸い始めると、背後から貴雄が尋ねてくる。
「メシは?」
「後で」
先ほど一瞥しただけだが、マサが作ってくれた夕飯はおいしそうだった。だが、今、貴雄と顔を突き合わせて食べる気分ではない。
「マサは話しやすいか?」
一弥は煙を吐き出しながら、振り返らずにこたえる。
「うん」
足を伸ばして、背もたれへ背中をあずけた一弥は、むしょうにパフェが食べたくなった。甘党ではないが、ファミレスや喫茶店で出てくるパフェは好きだ。思い出せないが、記憶の片隅に両親に連れられてパフェを食べている自分があった。せめてアイスが食べたいと思い、一弥は立ち上がる。
「どうした?」
パソコンから視線を上げた貴雄はすでに食べ終えていた。玄関のほうへ行こうとした一弥に声をかけてくる。
「アイスが食べたい」
笑われるかと思ったが、貴雄は携帯電話を取り出すと、部下へアイスを買ってこいと命じた。
「どんなアイスがいいんだ?」
「……バニラのアイス」
数十分後に届けられたバニラアイスに、一弥は小さくほほ笑んだ。 |