just the way you are30/i | ナノ


just the way you are30/i

 一万円札を握っていた夏輝は、売店の中を一周してから、リンゴのゼリーを手にした。それから、ペットボトルの水と下着をカゴへ入れて、レジへ並ぶ。手にしていた一万円札を使うことに抵抗はあったが、両親はいつまで待っても来てくれない。友則の父親は全額負担すると申し出たが、コインランドリーを使用するための小銭は用意されていない。
 夏輝は部屋へ戻り、釣銭の千円札八枚を紙袋へ戻した。小銭はテーブルの上に荷物と一緒に置いた。そこには名刺も置いてある。市議からの紹介で、と言っていたが、おそらく西城家が懇意にしている弁護士だろう。警察が来る前にやって来て、看護師に言った通りに言え、と命令された。
 夏輝はスマートフォンを見つめる。警察に話す内容も決められていた。だが、事情を聞きに来た警察も、弁護士が話したシナリオを聞くための質問しかしなかった。友則が考える以上に、彼の父親は彼の将来を案じているらしい。
 嘘と引き換えに失ったものは、高卒の資格と両親からの信頼、と考えて、両親からの信頼はずっと前から失っていたと気づく。夏輝はゼリーを取り出して、その冷たい容器を額へ当てた。得たものは、友則からの解放と口止め料兼見舞金の入った紙袋だ。
 十八歳になったから、高校中退でも働ける。再スタートを切ることができる程度の資金が、紙袋の中に入っている。ゼリーのふたを開けて、小さなスプーンですくった。口の中へ入れると、リンゴの味が広がる。くちびるの端が痛い。顔を殴られたのは、数回程度だ。そのことを思い出して、夏輝は体を縮めた。スプーンを握り締め、頭を抱えるようにして、ベッドの下まで這う。ゼリーの感触に吐き気をもよおして、床へ吐き出した。
 平気だと心の中で唱える。目尻の端に溜まった涙を拭き、直太の指先が耳から首、あごから肩、肩から背中へ移動した感覚を思い出す。存在を確かめるように、優しく、彼は抱いてくれた。
 床を掃除した後、夏輝はベッドへ横になった。直太はどうしているだろう、と考えながら目を閉じたから、いきなり開いた扉から、彼が駆け込んできた時、夢を見ていると思った。
「なっ、つき、せん、ぱい」
 直太が全力で走ってきたことは、乱れた呼吸や大量の汗から推測できた。
「山崎」
 夏輝はベッドから起き上がる。
「救急車、呼んでくれたって聞いてる。ありがとう」
 直太を安心させたいから、ほほ笑んだ。だが、彼は幼い子供が泣くように大声で嗚咽を上げて、その場に両膝をついた。彼の泣き声があまりにも大きくて、夏輝は看護師が来るのではないかと困惑してしまう。
「……あの、山崎、大丈夫?」
 ベッドから降りて、直太の前まで行くと、彼は泣きながら、両腕を回してくる。その仕草もまるで子供が母親の足にしがみつくように見えて、夏輝は思わず苦笑した。彼の頭をなでたら、その手をつかまれる。どうして、どうして、と泣きながら繰り返す彼を見ていたら、視界がにじんだ。
 夏輝先輩以外、何もいらないくらい、好きです、と言ったあの言葉は、偽りのない直太の思いだ。真剣な気持ちだからこそ、今も本気で夏輝のために泣いている。
「ごめん」
 浅い考えからの謝罪ではないが、夏輝が直太にかけられる言葉はそれだけだった。直太は大声で泣くことをやめて、呼吸を乱しながらも、こちらを見上げてくる。
「ちっ、ちが、う」
 直太は深呼吸するように大きく胸を動かした。それから、立ち上がって、つかんだままの夏輝の手を握り締める。
「先輩の、明日には、いない?」
 直太はもう一度、ゆっくりと息を吸ってから吐いた。
「また明日って言ったら、頷いてくれた。だけど、先輩の明日には、俺、いないんですか? 俺が大学卒業して、就職して、ちゃんと稼げるまで、認めてくれないんですか?」
 頷くことが直太の将来のためだと理解していても、夏輝は簡単には頷けなかった。返事ができない。しだいに胸が苦しくなり、夏輝はその場に倒れそうになる。
「夏輝先輩」
 大丈夫、と背中を擦る大きな手の存在に、夏輝はまたあの時のことを思い出す。直太の手が、消えそうな自分の輪郭を明瞭にしてくれる。
「やまざ、き」
「……はい」
「おれ、ひとりで、いきていけるって、もう、やまざきが、たすけてくれたから、おれ、ひとりで、へいきっておもったんだ」
 分かりました、と直太が言った。それから、彼は夏輝を抱えて、ベッドへ寝かせてくれる。今度は彼が頭をなでてくれた。



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