just the way you are8/i | ナノ


just the way you are8/i

 くちびるに指で触れて、目を閉じる。夏輝はかすかに頬を緩めた。何もなかった。今日の出来事は自分だけの秘密だ。思い出の箱に入れて、本当に苦しい時に取り出して、優しい人もいると確認し、自分を慰める。
 以前、友則に聞いたことがある。彼は恋人になって、と言ったが、実際は自分を嫌いなのではないかと思った。その時の答は、ずっと耳に残っている。
「愛してるから、俺のためにどこまでしてくれるのか、確認してる」
 直太は友則とは反対だった。
「俺は先輩に何ができますか? 先輩がして欲しいことは何ですか?」
 その言葉を思い出すと、とても心地良かった。しばらくの間、夏輝は本気で考えた。彼にして欲しいことは何だろう。夏休みの間なら、一日くらいは、彼と二人で過ごせる日があるかもしれない。
 少し浮ついた気分だったが、夕食はいつも通り、わずかしか食べられなかった。向かいの席の母親が、小さく息を吐く。
「男の子がダイエットなんてやめてよね」
 普通なら、冗談に聞こえるはずだ。だが、ここでは冗談ではなく、切実な願いに聞こえる。母親が自分の繊細さや容姿を同性愛へと結び付けていることは理解している。こういう小さな批判には、もう慣れてしまった。
「ちがうよ、ほんとに最近、調子悪くて。夏バテかな」
 一口だけ食べたご飯と半分食べたハンバーグの皿を持って、夏輝はキッチンへ向かう。
「そういえば、ちーちゃんは? 三年生になってから、全然来てないね」
「ちはる? 言わなかったっけ? お互い受験生だから、別れたんだ」
「……そう」
 ちはるは中学の同級生で、口うるさい母親の前で彼女のふりをして欲しいと頼んだら、応じてくれた子だ。共学の高校で彼氏ができた後も、時々、遊びに来てくれた。
「ごちそうさま」
 リビングを出て二階の自室へ戻ろうとすると、母親が、「待って」と追いかけてきた。
「夏輝、あの傘なんだけど」
 母親が指差した先には、持ち手に直太の名前が書かれた薄い水色の傘がある。
「お友達が貸してくれたの?」
「うん。ちゃんと返す」
 男子高校なのだから、当然なのに、母親は男の名前というだけで、過剰に反応している。だが、その傘を貸した人は、自分を気遣い、初めて希望を聞いてくれた人だ。優しくて良い人だと彼女に打ち明けられたら、と思う。
「早く返してね」
 念押しされて、夏輝は返事をした。貸した本人は返さなくていいと言うのだから、おかしな話だ。
 部屋に入り、ベッドへ転がる。スマートフォンを手にして、直太の名前を検索してみた。中学校の時の駅伝大会に名前が出てくる程度だ。いつも校庭や外周を走る彼は、真剣で、楽しそうで、輝いている。うらやましい、と思いながら、夏輝はいつの間にか、眠っていた。

 翌日、昼休みまでは、何もなかった。食欲がないことを理由に断っている母親の弁当の代わりに、コンビニエンスストアで買った菓子パンを一つだけ食べた。友則はいつも大きな弁当箱を持ってくる。母親ではなく、家政婦が作っているらしい弁当は、見た目でだけではなく栄養面も気遣われていた。
 友則が洗練された所作で食事する姿を見つめる。オレンジ色に近い玉子焼きをこちらへ差し出してきた。ためらいながらも開いた口へ、彼が玉子焼きを押し込んでくる。
「昨日の、あれ、誰?」
 夏輝は右手で口元を押さえ、口内のものを急いで飲み込んだ。
「誰って、誰のこと?」
 分からないふりをした。友則の視線が、隠し事を見抜こうとして鋭くなる。夏輝は視線をそらさずに、思い出すふりをする。
「あ、あの、陸上部の子は、何でもない。昨日もそう言った。信号待ちの時に話しかけてきただけ」
「何て?」
「あ、暑いですね、とかそういう世間話」
 友則は食事をしながら、尋問のような問いかけを続ける。
「それから?」
 黙った夏輝に、彼はもう一度言った。それから、どうしたのか。横断歩道を一緒に渡る時、手をつないでいた、と。夏輝はただ視線を落として、どう答えるべきか必死に考えた。



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