just the way you are2/i | ナノ


just the way you are2/i

 一年生が見ていた。
 横目で、彼が驚きの表情を浮かべて、自分を見ていることに気づいた。恥ずかしいという理由から泣かなくなった。口の中に広がるゴムの味にも慣れた。チャイムが鳴る前に下着ごと脱いでいた制服へ手を伸ばすと、西城友則(サイジョウトモノリ)が下着だけ取って、側溝の中へ捨てた。
 手を伸ばせば取れるが、泥水で汚れた下着を身につけたくはない。何も言わずにズボンだけはいて、汚れてしまった下着を取り上げた。口での奉仕を希望した生徒は、早々に教室へ戻り、鳴り始めたチャイムを聞いて、生徒会長である友則も校舎へ続く道を歩き出す。
 里村夏輝(サトムラナツキ)は下着を握り締めた手の甲で、口元を拭った。くちびるを結び、静かに歩く。気を緩めたら、崩れてしまうと分かっていた。ここで崩れてしまうのは、墓場で倒れることと同じだ。そのまま埋もれて、ただ消えていく。
 少し遅れて教室へ戻ると、教師が一瞬だけこちらを見た。ほんの一瞬で、また何事もなかったかのように授業は再開された。夏輝の席は廊下側の一番後ろのため、入ってすぐに座ることができる。小さく丸めて手に持っていた下着を鞄へ押し込み、夏輝自身も何事もなかったかのように、ノートを取り始めた。
 友則との関係が変わったのは、去年の夏だ。人生には、間違えてはいけない選択を迫られる瞬間がある。夏輝は間違えてしまった。振り返ってみても、正解が分からない。だから、たとえやり直せたとしても、今の状況以上に良くなることはないと思えた。
 放課後の呼び出しがない日は、まっすぐ家へと帰る。途中で書店へ寄ることもあるが、今日は早く家に帰りたい。下着をはいていないことを、誰かに知られることが怖かった。そういう日は放課後も生徒会室で嫌がらせを受けることが多い。
 生徒玄関で靴を履き替えて、雨が降り出しそうな空を見た。冬の間中、友則に泣きついた。どうしたら許してくれるのか、聞き続けた。一年の時から生徒会で活躍する彼に無視されただけで、学校生活は変化し、学校は夏輝にとって戦場へ変わった。暴力行為に怯え、無視されることに傷つき、自分を見つめる彼に泣きついた。
 春休み明けのクラス発表の後、友則は同じ選択を迫った。恋人になって、と言われたら、二つの選択肢しかないはずだ。拒否したら戦場、受諾したら墓場、回避する術もなく、夏輝は彼の恋人になった。
 フェンス越しに校庭を見ると、走り幅跳びをしている陸上部員が楽しそうに話をしていた。他の部活動の邪魔にならないように、校庭の一番外側を長距離走の部員が走る。
「なおたー、次、ラストなー!」
 ストップウォッチを手に叫んだ部員の声があまりにも大きくて、夏輝は一瞬、足をとめた。汗を流しながら走ってくる青年は、笑みを浮かべ、軽やかに反対側へと駆けて行く。同じ場所なのに、生きている環境が違うと感じた。
「先輩」
 目の前に立った影へ視線を向ける。
「口でしてくれるって、本当ですか?」
 人の目を見て、話ができなくなった。足元の影を見ながら、「友則に言って」と返す。立ち去らない影から視線を上げると、笑っている瞳が見えた。自分を見る瞳はだいたい同じだ。存在がない者として見ているか、あるいは、蔑みの中で自分を犯しているかのどちらかだ。
 夏輝は下級生の脇をすり抜けた。そのまま、先ほどの彼のように徐々にペースを上げて走り出す。すぐに息が苦しくなり、視界がにじんだ。誰にも相談できない秘密だ。大人に話すためには、まず自分が何者であるのか、告白しなければならない。
 振り返ってみれば、たいしたことではなかった、と思えることはごくわずかで、夏輝の思い出は笑い流せない出来事ばかりだ。小学校二年生の時、好きな子の名前を挙げたら、母親は真っ青になっていた。彼女の言葉や態度で、夏輝は自分自身を修正してきた。中学では同級生に偽りの彼女を演じてもらい、軌道修正された息子を見た両親は、進学校であるこの男子高校への受験を許可してくれた。
 両親を失望させたくなかった。初めて友則に打ち明けた時、彼は、「じゃあ、恋人になって」と笑った。その時、夏輝の頭の中は、半分が両親のこと、もう半分が彼はタイプではない、という思考で占められていた。
 いつかゲイバーで自分を振り返る時、今起きている出来事はたいしたことではない、と思えるようになるのだろうか。じわじわと流れる汗に息切れ、心臓はばくばくと音を立てて、肺は酸素を得ようと必死だった。この苦しみを、たいしたことではなかったと言えるような大人になりたい。夏輝は汗と涙を同時に拭った。



1 3

main
top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -