never let me go37 | ナノ





never let me go37

 平行棒を使った歩行訓練をひと月ほど経て、ディノは歩けるようになった。その間も今も、マリウスは立ち上がることができず、四つ這いで移動していた。ひざへの負担を考え、ディノは室内すべてに衝撃を吸収する低反発のカーペットを敷いた。段差のない造りは玄関から徹底され、椅子にも座ることができないマリウスのために、ソファを用意した。
 マリウスはソファとテーブルの間に座っていた。ソファにはリスやウサギといった森の動物達のフィギュアを並べている。ディノは彼が一人で遊ぶ様子を見ながら、立ち上がることができない彼の精神的な問題を考えていた。左足のアキレス腱を切られていたが、その傷は浅く、訓練すればすぐに歩けるようになると医者は言っていた。
「マリウス」
 呼びかけると、マリウスはこちらを振り返る。ディノの声には反応するようになった。こちらへ来いと指示していないのに、彼は反対側のソファへ座るディノの足元まで這ってくる。

 病室から去る時、マリウスはひどい状態だった。彼の中では病室を出るということは、またあの場所に戻るということだったにちがいない。泣き叫び、暴れる彼に鎮静剤を打ち、フェデリコの迎えの車へ乗せた。そのまま睡眠導入剤を飲ませて、ベッドへ寝かせたが、明け方の悲鳴でディノは飛び起きた。
 ディノはサブベッドルームを使い、マリウスをメインベッドルームへ寝かせていた。慌てて扉を開け、照明をつけた。マリウスはベッドから落ち、その場から逃げるように部屋の隅へと這っていった。名前を呼ぶと、彼はパニックになりながらもディノの足元まで来て、その手を伸ばしてきた。

 這ってきたマリウスは、静かに指示を待つ。
「……リンゴジュース、飲むか?」
 ディノの問いかけにマリウスは頷いた。リビングからアイランド型のキッチンまで、自分の後を追って這うマリウスを振り返り、ディノは深く後悔した。
 あの夜、マリウスが手を伸ばしたのはディノの中心部だった。奉仕するという意図を持って伸ばされた彼の手を、ディノは振り払った。振り払った後にきちんと言い聞かせればよかったのに、ディノはベッドルームの扉を閉めてしまった。
 病室は特別だった。ディノはいつでもマリウスの髪や頬に触れ、彼の手を握った。彼は否定的な態度も肯定的な態度も取らず、ただそうさせてくれた。だが、病室を出てから、それらの行為はすべて変わってしまった。
 ディノはこちらを見上げるマリウスを見た。自分は完全に彼の飼い主だと思われていた。プラスチックのカップにストローを入れ、そっと両手へ握らせる。マリウスはうまくストローを口へ入れられず、ディノは彼の前にしゃがみ、ストローを押さえてやった。一気に飲みほす様子を見て、小さく息を吐いた。彼は自らの希望を押し殺す。

 あの日、数時間経ってもメインベッドルームから出てこない彼にしびれをきらし、ディノは扉を開けた。彼はクローゼットの中で眠っており、ディノの気配に起き上がると、青ざめていた。それが我慢できずに漏らしてしまったからだと分かっても、ディノはもちろん怒らなかった。彼の体を清潔にするため、バスルームへ連れていこうとしたが、徒労に終わった。
 マリウスのバスルームに対する恐怖心はひどく、シャワーを浴びたり、バスタブで体を休めることはできないのだと考えていた。根気よく付き合うつもりだったディノだが、彼は三日後にはバスルームへ自ら入った。喉がかわいていた彼は、当たり前のようにバスルームへ入り、便器の中へ顔を突っ込み、水を飲み始めた。
 あの時、ディノはまた失敗した。驚いて声を上げ、マリウスの顔を便器から離した。怒られたと感じた彼は、許可がなければ便器の水すら飲んではいけないのだと思い込み、それ以来、すべてにおいて指示を待つようになった。

「遊んでいい」
 ジュースを飲み終わったマリウスの視線がソファへ戻る。ディノが言葉をかけると、彼はソファまで戻り、リスのフィギュアをつかんで動かした。


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