never let me go35 | ナノ





never let me go35

 ディノはマリウスが傷つく様を見せられて、彼が自分にとって守るべき大事な存在であることを再意識した。時間にすれば数十秒程度かもしれないが、もし彼と最後に会った夜まで戻って、彼を自分の家へ連れていけたなら、と想像した。彼は今でも自分の帰りを待ちながら、夕食を用意してくれているのだと確信できた。
 数十秒の間で感情がめまぐるしく変化していく。以前にも経験した怒りや悲しみの上限が外れていく感覚に、ディノは額を押さえた。場当たり的な行動をした結果、ディノは父親を殺した方法を忘れた。妹の名前も、顔も、声も思い出せなかった。もういない、という喪失感と気づけなかったという後悔だけが残った。
「これで俺の愛を買えると思ってるのか?」
 アレッシオが頷く。
「人の感情を買えると本気で思ってるのか?」
 アレッシオを殺そうと決めていた。だが、無邪気に頷く彼を見て、ディノは考えを変えた。マリウスの人生と人格を壊した彼に死を与えるより、望むものが一生手に入らないことを知らしめるほうが、彼を苦しめられる。
 ディノはアレッシオへ近づき、彼を抱き締めた。息を飲む彼のあごへ触れ、恋人のくちびるへ触れるようにゆっくりと優しくくちづけをする。彼の手が背中へ回された。ディノは彼がくちびるの間から舌を出す前に、顔を離す。うるんだブラウンの瞳を、冷めた視線で見返す。彼はディノの視線の意味を正確に理解したようだった。
「どうして?」
 自分の何がマリウスに劣るのか、と訴えてくる。今のキスが同情からのものだと言うと、アレッシオは懐から銃を取り出した。
「汚れた水の中で、もがき続けて、根を腐らせずに花を咲かせたマリウスを、おまえみたいなクズと比べられるわけがないだろう」
 おまえが欲しがるものは、もう二度と手に入らない、と告げて、ディノは扉へ向かって歩き始める。アレッシオが銃口をこちらへ向けていることは分かっていた。
「映像、ぜんぶ、ネットにばらまく!」
 ディノは振り返り、笑った。
「好きにしろよ。世間があいつをどう扱ったとしても、俺があいつのそばにいればいい。おまえが映像を公開するたび、俺もおまえに俺達の写真や映像を送ってやろうか?」
 震える銃口の向こうには、泣き出しそうな表情をしたアレッシオが見えた。
「もう殺しはやめてやる。マリウスを傷つけた奴らを殺さなくても、あいつの記憶を俺が塗り替えていけばいいだけだから」
 挑発するように言うと、アレッシオが銃を撃った。大きく振られた腕を見てから、ディノは自分の左方向にある壁を確認する。彼の精神状態では当てられないと予想して、背中を向けた。一度目の銃声で寝室へ入ってきた男達は、何とかアレッシオのそばへ寄ろうとする。
「ディミトリ!」
 その名前で呼ばれるのは久しぶりだった。だが、それはすでに捨てた名前だ。ディノは立ちどまらずに歩く。二度目の銃声と同時に左の腰が熱くなる。ディノは左手で脇腹を押さえた。弾は貫通しているが、すぐに血があふれてくる。
 ディノは振り返ることなく、廊下に出て、階段を降りた。途中、血だらけの手で手すりへ触れてしまったが、気にすることはない。
「ディミトリ! 待って」
 すがるように追いかけてくるアレッシオの声に、ディノはうんざりしていた。
「待って、殺す気なんてない、俺は、ただ、俺は」
「今ここに、俺の腎臓を置いてってもいい」
 痛みとめまいから、ディノは言葉を切った。失血死する前にこの別荘から出なければならない。留まれば、アレッシオの悪趣味な抱き人形にされそうな予感がした。そして、そういうことを想像する余裕のある自分に苦笑してしまう。
「だが、俺がおまえを愛することは絶対にない」
 寒いのに、汗をかいていた。何度か死にかけたことはある。その時のことを思い返せば、今回はまだ平気だと思えた。
 ディノは雑木林の中を歩きながら、夕陽が沈む方角を見極めようとした。視界は暗くなり、先ほどまで聞こえていた鳥や虫の鳴き声が途絶える。細く白い木にもたれ、電源を落としていた携帯電話を取り出した。
 視線を上げると、マリウスが手をとめてこちらを振り返る。彼は笑いながら、ハート型のラビオリを見せてくる。ディノは小さく笑った。俺の部屋に来ないか、と聞いた。彼は嬉しそうに笑う。それから、『そっちはだめです。俺のそばにいてください』、とこちらへ手を伸ばしてきた。


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