never let me go32 | ナノ





never let me go32

 ゆっくりと歩き、ロケーションを確認したディノは、煙草代わりのガムを取り出した。マリウスの退院までにすべてを終わらせたいと考えていたが、時間は限られている。すでに二十人以上がディノの放った弾丸により、死を迎えていた。警察は連続殺人として捜査しているが、被害者に共通することは、セレーニ家に関わりのある人間としか出てこない。
 その共通点もソットマーレの会員であり、地下で何かいかがわしいことをしていたという部分だけだ。おそらく犯人に当たりをつけることすら難しい状況だろう。
 近くにあったスーパーに入り、プラスチックのバケツに入った五百グラムのポテトサラダとバゲットを買った。なるべくマリウスの前で食べるようにしている。彼に流動食を食べさせた後、流動食よりはおいしそうに見える出来合いの物を口にしていると、時おり、彼はこちらを凝視していた。ディノは彼が興味を持った時だけ、何を食べているのか説明するようにしている。
 下線や走り書きが施された教科書やノートを思い出す。マリウスの私物はすべて警察へ押収されていた。何か一つでも、彼の私物があれば、と考えていた時期があった。だが、退行したマリウスと接するうちに、その考えは消えた。
 マリウスはもう一度、新しくやり直す。人付き合いも、就職もできないだろう。だが、次は一人きりの出発ではない。

 病室へ戻ると、マリウスはぬいぐるみと対峙していた。看護師に置いてもらったのか、ウサギのぬいぐるみが彼の正面にあった。
「マリウス、もうすぐ夕食の時間だ」
 購入した自分の夕飯を冷蔵庫へ入れ、ディノは改めてマリウスを見た。ライトブラウンの澄んだ瞳は、薄いピンク色のウサギへ注がれている。不意に並んでいるぬいぐるみを確認して、ディノは天性ともいえる直感で異変に気づいた。昨日とは何かが異なっている。適当に置いてあるだけのぬいぐるみを見て、ディノは扉の外にいる二人の護衛へ声をかけた。
「あのウサギは誰が持ってきた?」
 マリウスはまだ入浴できない。検温や検査もほとんどすべてが病室内で行なわれる。だが、今朝はレントゲン撮影があった。案の定、小児科の子供がマリウスへ渡したと告げられる。気に入ったのかどうかは分からないが、マリウスが手放さないと続いた。
 つまり、誰もあのウサギに何か仕込まれていないか確認できていないということだった。ディノはすぐにマリウスのほうへ戻り、ウサギの耳をつかむ。見た限りでは、何か仕込まれているようには見えず、黒いプラスチック製の瞳がこちらを見つめ返してくる。
 過剰に疑いを持ちすぎたかと、ディノがウサギをマリウスへ返すと、泣き叫ぶ声が響いた。マリウスの声だ。だが、彼は今、泣いていない。泣きながら、許しを求め、痛みにうめく音はウサギの腹から聞こえた。
 それがあの映像データの音声だと一瞬で理解し、ディノは慌ててウサギをつかみ、床へ落として踏みつけたが、マリウスはすでに耳を塞ぐように両手で頭を覆い、赤子のように泣き始めた。
「マリウス!」
 ディノが二度、三度と踏みつけて、ようやく中のスピーカーが潰れる感覚を得た時、マリウスはベッドから落ち、そのまま這うようにして、ベッドの下へ隠れていた。すぐに担当の看護師が来てくれたが、彼はベッドの下で小さくなり、過呼吸のような症状で泣き続ける。
「マリウス」
 ディノが手を伸ばして、マリウスの手首をつかんで引いても、彼はベッド下から出ようとしない。力で押せば、引きずり出すことは簡単だ。ディノは少し力を込めてから、ギプスが取れている緩く握られた手を見つめた。かすかに震える拳には、鋭利な刃が突き刺さった後が残っていた。
 映像の中でマリウスは、こうして引きずられていた。逃げても、隠れても、彼には安全な場所などなく、彼の意思とは関係なく、時には足首や髪をつかまれ、蹂躙されていた。状況は異なるが、今、自分がしようとしていることは、彼にとっては同じなのかもしれない。
 看護師が手伝おうとした。ディノは断り、力で引っ張ることをやめて、自分自身もベッド下へ入り込む。頭を抱くようにして、ディノは彼を抱き締めた。


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