never let me go10 | ナノ





never let me go10

 マリウスは少しかためのライ麦パンを袋から取り出し、イチゴジャムを塗った。一口かじった後、ミネラルウォーターで流し込み、二口目は口に入れる寸前でやめた。ニケに言われた言葉がこたえていた。
 父親に否定された。確かにそうだ。普通の息子であることは否定された。だから、愛されていると思い込んで、彼からの愛が普通なのだと受け入れてきた。どんなふうに始まったか、思い出そうとして、マリウスは小さな嗚咽を上げた。
 右手からミネラルウォーターのボトルが滑り落ち、シンクへ水が流れていった。その様子を見て、射精を連想したら、その場に座り込んだ。気分が悪かった。
 この街へ来てから、マリウスは生まれ変わった。新しい苗字と身分を手に入れるために、大金を稼いだ。あの汚れた金はすでに手元にない。だが、ぜい沢ができなくても、今の生活に満足していた。
 今が大事だ、とマリウスは決心して立ち上がった。今、苦しんでいるのは自分ではなく、ニケだった。彼が助けを求めているなら、自分の立場は関係ない。週休だったが、マリウスは車の鍵を手に部屋を出た。

 中庭で響く子供達の声を聞き、マリウスは白い息を吐きながら、そちらへ向かった。中庭にいなければ室内にいるはずだが、ニケはベンチに座っていた。目を閉じている彼の青白い頬を見て、あまり食べられず、そして、眠ることができないのだと気づいた。
 隣に座っても、ニケは目を開けず、黙ったままだった。マリウスは周囲を見回した。話し込んでいる職員がいたものの、カルロではなかった。少し安堵して、まだ目を閉じている彼へ話しかけることにした。
「施設に入れられたのは十三歳の時だった。それまで、何度か職員が来たけど、俺はいつも普通に振舞ってた。八歳か九歳の時には、もうそれが異常だって知ってたのに、否定し続けたんだよ」
 ニケの瞳がこちらを見た。マリウスは地面を見ていた。少し濡れた砂の色の濃い部分を靴の先で突いた。職員は常に慎重だった。父親にキスをすることはあるか、と聞かれ、頷くと、どこに、とすかさず質問が重ねられた。
 頬に、とこたえると、くちびるにはしないかと確認され、首を横に振った。舌でなめられたことはないかと続けられた時、マリウスはその問いにも、ただ首を横に振った。
 父親は怖くなかった。彼はひどいこともしたが、本質は優しく、すべての行為は愛によるものだと話していた。どうして、こういうふうに愛するのか、と尋ねたことがあった。そのこたえこそ、マリウスが本能的に恐れを感じたものだった。
「施設には二年くらいしかいなかった。逃げ出したんだ」
 マリウスはニケへ視線を向けた。
「眠りたかったのに、起こされるんだ。父親としてたなら、平気だろうって言われて、相談したら、カウンセラーが来て、俺も父親と同じ病気だって言ってた」
 ニケの瞳がにじんでいくのを見た。
「誰も助けてくれない、誰も信じてくれない」
 涙声の言葉にマリウスは小さく息を吐いた。
「無理強いされてる?」
 相手を特定せずに聞いた。ニケは頷き、「でも、誰にも言わないで」と懇願した。
「どうせあいつの時みたいに、皆、俺が嘘ついてるって言うんだ。だから、もう誰も信用しない」
 セーターの袖で目を擦った後、ニケは室内へ入っていった。マリウスは駐車場へ戻り、運転席へ座った後、額をハンドルへ当てるようにしてうつむいた。乱れた呼吸が嗚咽に変わるまで、さほど時間はかからなかった。
 どうして、こういうふうに愛するのか、と尋ねたら、彼の父親もそうしたからだと言われた。その時マリウスは、呪われた気分になった。あたかも自分の遺伝子にすべてが受け継がれ、自分も将来、彼と同じことを自分の子供にするのだと言われた気がした。
 カウンセラーが、父親と同じく精神を病んでいると話すところを聞き、その呪いはいっそう強さを増した。
「マリウス?」
 料理長の声にマリウスは涙を拭ってから、ウィンドウを下げた。


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