never let me go9 | ナノ





never let me go9

 廊下の照明をマリウスはじっと眺めていた。手を引かれて、スーパーの中を歩き回っている。機関車のイラストが描かれたヨーグルトに手を伸ばすと、大きな手が遮る。このヨーグルトは甘すぎて体に悪い、と彼は言う。
 踏み台の上に上がり、ベッドに入る。マリウスは、うめいた。目を覚ましたいのに、封印していたはずの記憶が、映画のように上映されていく。幼い自分が馬鹿みたいに下着を脱ぐ。ためらうことなく足を開き、部屋に入ってきた人物へ声をかける。
「マリウス」
 短く息を吸い込んだマリウスは、薄暗い廊下に寝転んでいる自分と心配そうにこちらを見つめるディノの姿に気づいた。
「うなされてた。大丈夫か?」
 頷くと、ディノは闇の中へ消えるようにキッチンへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったペットボトルを持ってきてくれた。
「……すみません」
 ディノは苦笑して、「おまえの水だろ?」と言った後、「怖い夢でも見たのか?」とたずねた。その問いかけにも頷いた。一口飲んでから、また寝袋の中で横になろうとすると、彼が寝袋ごとマリウスの体を抱えた。
「ベッドで寝たほうがいい」
 そっとソファベッドへ降ろされ、毛布をかけられた。
「あ、でも」
 セントラルヒーティングとはいえ、廊下は冷える。寝袋ごと毛布まで被せられたマリウスは慌てて、起き上がろうとした。起き上がることができなかったのは、ディノが横から抱くようにして、ベッドへ入ってきたからだ。彼は自分の体にも毛布をかけ、すぐに目を閉じた。
 寝返りを打てば落ちてしまうような狭いベッドなのに、ディノは数分と経たないうちに眠り始めた。マリウスは彼の体温や呼吸を感じながら、何度か目を閉じては開き、照明がついていることと隣に眠る相手がディノであることを確認した。
 間近で見ると、ディノの左頬には薄い傷痕が残っていた。マリウスはそこへ手を伸ばし、頬へ触れた。彼の頬は冷たい。親指の腹でその傷痕をなぞると、彼が目を閉じたまま、マリウスの手をつかんだ。嫌がったのかと思ったが、そうではないらしく、彼はそのまま寝息を立てていた。
 兄弟がいたら、こういう感じなのか、と考えた。時おり、弟の様子を見にくる兄みたいだ。マリウスは目を閉じてほほ笑んだ。

 施設の庭には、遊具が置いてあり、ニケはよくブランコに座っていた。マリウスはあまりもので作ったパニーニを持って、彼の前に立った。長く伸びた影が誰のものなのか、確認するように視線を上げた彼は、マリウスを見てから瞳をそらした。
「チーズが入ってるよ」
 チーズがニケの好物かどうかは分からないが、たいていの子供はチーズが入っていると言うと喜んで食べた。彼は少し考える素振りを見せた後、皿ごとパニーニを受け取ってくれた。
「皿は返却口に」
 子供達しかいなければ、ニケの隣のブランコへ座り、話を続けたかったが、庭には職員達もいた。
「ねぇ」
 マリウスが踵を返してすぐに、ニケが呼びとめる。
「……これ、ありがとう」
 マリウスはほほ笑んだものの、ニケの表情が言葉とは裏腹にかげりを帯びていることを認めて、かすかに首をかしげた。
「ニケ」
 ニケは大きく口を開け、残りのパニーニを食べた。その食べ方が性的な行為を連想させるほどいやらしく感じたのは、マリウスの気のせいではなかった。皿を持って立ち上がった彼が、マリウスの胸へ皿をつき返した。
「みんな否定するけど、あんたの否定が一番嫌いだ」
 意味を考え出すより先に、ニケが続けた。
「俺は存在してるし、ちゃんと覚えてる。あんたは閉じ込めて、あやふやにした。だから、俺を見て思い出しそうで怖いんだろ? 最初に否定された……」
 父親に、と聞こえた。マリウスは落とした皿を拾うためにしゃがんだ。立ち上がった時、ニケの姿はなく、子供達が不思議そうにこちらを見ていた。どうして泣いているの、と彼らに聞かれるまで、マリウスは自分が泣いていることにも気づかなかった。


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