エウロパのうみ29/i | ナノ


エウロパのうみ29/i

 きれいに清掃されている窓に映った自分を、時和は不思議な気持ちで見つめた。ダークグリーンのパンツに深いカーキ色のコートを着ている。善からの贈り物だった。
「時和」
 振り返ると、善が時和の肩を抱き寄せるようにして、人の流れの中へ戻してくれる。十日まで年始の休みを取っている彼が、すべて自分のために休みを使ったと知って、時和は申し訳なく思った。
 何度めかの善と社長との電話のやり取りで気づき、謝る前に彼は気にしなくていい、と笑った。こういう時でなければ、どうせ有給は使えない、と言っていた。新しい携帯電話を買い、百貨店の惣菜売り場で夕食のおかずを選んだ後、善の部屋へ戻った。
 コートを脱ぐと、まるで以前からそうしていたように、ウォークインクローゼットの中へしまわれる。少しだけ、と言っていた善は、いつの間にか時和の衣服を買い足していた。家に帰る、と言い出しにくい。
 だが、時和はまだ一人で外を歩けるほど回復しているわけではなかった。一度起きた最悪の出来事は、たった一度のことなのに、時和自身を変えてしまった。アルバイト先に迷惑をかけているため、焼き菓子のセットを購入したものの、その紙袋を見つめ、いつ行けるかと考える。夜道を歩くのは怖い。一人で歩くのは嫌だった。
「用意できたよ」
 善は、テーブルに並べただけだけど、と椅子を引く。春雨サラダやコロッケを小皿に取り分けてくれた彼は、グラスにミネラルウォーターも注いだ。傍から見れば、彼は理想的で素晴らしい恋人になると思う。
「ありがとうございます」
「言わないで」
 時和が首を傾げると、善は苦笑する。
「俺のすることにお礼なんて言わないでいいよ。やりたいからやる、それだけ」
 善は手を合わせた後、食事を始めた。
「それって、やっぱり……」
 言いよどんだ言葉を、善が続ける。
「君のことが好きだからだよ」
 改めて言われて、その感情の重さを知る。時和は春雨サラダを口へ運ぶ善を見つめた。何をしていてもさまになる完璧な人間が、自分を好きだなんて、嘘だと思いたくなるが、善が本気であることは、本人からも周囲の人間からも聞いている。
「初めて会った時、一目惚れしたんだ。もちろん顔も好みなんだけど、話してみて、君の人柄や性格も知って、もっと好きになった。だから……」
 善から視線をそらせない。
「だから、今は君に恋人がいてもいい。そういう君も含めて、好きだからね」
 これまでとは違う雰囲気で、善はそう言った。そういう君、というのは、どういう自分なのだろう。射られるように見つめられ、時和は一瞬、怖くなる。だが、彼はすぐにほほ笑んだ。
「俺に気をつかわないで、かけていいんだよ」
 時和はガラステーブルに置いてある新しい携帯電話を見つめる。以前の番号ではなく、新しい番号で契約した。母親は番号まで変えたことに多少、驚いていたが、以前の番号は彼らに知られている可能性もあるため、善のすすめでまったく新しいものへ変えた。
 あの新しい携帯電話には、取り出すことができた電話帳のデータがある。かけようと思えば、明達へかけることができる状態だ。白がいいと言われるままに手に入れた新しい携帯電話には、明達からもらったストラップがなかった。
「俺、明日、バイト先に顔、出してきます」
「分かった」
 明達に会う勇気も電話をかける勇気もない。彼は時和がどこに住んでいるのか知っている。母親に誰か訪ねてきたか、それとなく聞いたが、誰も来ていないと言っていた。それが彼からの返事だと思えた。



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