エウロパのうみ32 | ナノ





エウロパのうみ32

 ティーカップを持ち上げた時、震えている手に気づいた。熱い紅茶を一口飲むと、くちびるの端に痛みが走る。時和は少しだけ声を上げ、それから、そっと左の頬を押さえた。明達が怒っていることは予想していた。話を聞いてくれないことも分かっていた。
 高校の時のように無視されるよりは、怒りをぶつけてくれたほうがいい。だが、それでも、時和は弁解する余地を与えて欲しかった。時間を巻き戻したいと思ったのは、初めてだ。あの夜まで戻れたら、時和はあのまま明達の部屋に泊まり、心の通じ合った状態で、朝を迎えたかった。
 エレベーターホールのほうから、かすかな機械音と靴音が聞こえる。善の姿を見て、時和は瞳をにじませた。ソファから立ち上がり、彼のほうを向くと、彼の顔が少し歪む。
「それ、どうしたの?」
 大きな手が左頬へ触れた。
「なんでも、ない、です」
 時和は心細さを見せるように、善の胸元へ頭を寄せる。彼はすぐに部屋まで上がってくれた。
「消毒しよう」
 コートを脱ぎ、時和をソファへ座らせた善が、救急箱を持ってくる。部屋に似つかわしくない木箱の救急箱に、時和はかすかにほほ笑んだ。
「っ」
「ごめん、しみる?」
 善の言葉に時和は、「もう平気です」と返す。しみたのは最初だけで、今はもう何ともなかった。キッチンへ向かった彼は、ストローをさした状態で飲み物を持ってくる。その気づかいに、時和は感心すると同時に、彼から本当に愛されているのだと実感した。
「あの、俺もそれが飲みたいです」
 アイスぺールから氷を取り出し、水割りを入れ始めた善は、「くちびるにしみるよ」と苦笑する。
「いいです。ストレートでください」
 ストレートグラスに注がれた琥珀色の液体を、時和はくっと飲みほす。喉が焼けるような感覚は、罰と浄化のような気がした。三杯目で、善の手が時和の手首をつかむ。
「お酒は逃げないから、もう少しゆっくり飲んで。自分の体もいたわらないと」
 大きくて熱い手だ。時和は嗚咽を漏らす。泣きながら、アルバイト先にあの映像を配られた、と言った。善の息を飲む気配があったが、彼はすぐに抱き締めてくれる。
「少し、休んだらいいよ。今までずっと、皆が寝てる時間に働いてきたんだ」
 団地の家賃や生活費のことを考えれば、少し休むという選択肢はないものの、時和は一時だけでもすべてを忘れようと頷く。自分の味方は母親と彼だけだ。明達に言われた言葉を思い出し、時和は傷ついた心をあずけるように、彼の背中へ手を回す。
 時和、と優しく呼ばれた。善の耳のうしろからうなじへかけて、くちびるで触れていく。慰められたいと思った。情けないことに、時和は彼にすがりたいと思い、彼に今すぐ抱かれたいと感じた。
 初めて会った時と同じ、人を魅了する瞳でこちらを見つめる善が、時和の体を抱き寄せ、脇腹や腰へ触れてくる。キスをした時、くちびるの端に痛みがあったが、時和はいっそう強く彼のくちびるを噛むようにキスを仕掛け、舌を交わらせた。
 忘れたい、と言葉にしたわけではなかった。だが、善はまるですべてを知っているかのように、時和の体を抱えると、マスターベッドルームへ運び、激しいキスとともに時和のペニスを弄んだ。
「っあ、ぁあ」
 時和は、はっと短い呼吸を繰り返しながら、善の手が意地悪く動いている中心に集まる熱を感じる。解放されたくて、いきたい、と告げても、彼は喉を鳴らすように笑い、じんわりと甘い愛撫を繰り返した。


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