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walou16(第2部・約5年後)/i

 都の東側には氏族や皇族にかかわる者達の住まいが多く建ち並ぶ。エクは水の日の決まった時刻に、薬草店を目指して主人の屋敷を出た。エクの主人であるサルマは、足が悪くても家の中のことはほとんど自分自身でこなす気丈な女性だが、三年ほど前から長く歩くと足の痛みがひどくなったため、エクが外での用事を済ませるようになった。
 エクが都へ来たのは、ちょうど前皇帝が現皇帝タミームへ譲位した頃だった。政治の話をすることもなく、関心もないエクだが、人々の口から聞く言葉によると、タミームが実父である前皇帝を脅し、譲位となったらしい。その後、前皇帝を見た者がおらず、幽閉や暗殺といった噂も流れた。
 前皇帝の行なってきた行為を振り返れば、幽閉や暗殺は妥当だと言われている。エクは現皇帝であるタミームを知らないが、彼の乳母であったサルマから、彼が素晴らしい人であることはよく聞かされていた。
 政治の話に関心のないエクだが、タミームが推し進めた奴隷制度廃止については、自分にかかわることでもあり、理解しているつもりだ。現在、都に奴隷は存在しないと言われている。エク自身も主人であるサルマと契約を交わした使用人という身分だ。
 無論、それは呼び名の違いであり、実際のところ、制度廃止から四年ほど経っている今でも奴隷という身分は存在しており、ヴァイスの社会的地位は以前と変わりなかった。
 エクはヴァーツ山脈の東にある小さな村の出身だ。国という概念はないものの、人々はわずかな夏の時間を使い、作物を育て、狩猟へ行き、冬に備える。冬の間は作物を用いた蒸留酒づくりを行い、それらを行商人へ売ることで生計を立てる者もいた。
 エクの家も蒸留酒をつくっていたが、二年続いた凶作と長い冬のせいで、両親は困り果てていた。前皇帝がヴァーツへ侵攻した時代こそ、金銭の授受はなく、まさに奴隷として連行されたが、その後は生活に困窮した家が奴隷商人との間で契約を交わすようになった。
 タミームが奴隷制度廃止を掲げ、それを実行に移すまでの間、エクのように家族の生活を救うため、奴隷商人と契約をした者は少なくない。エクが都へ来た時は、奴隷契約ではなく、使用人契約と呼び名が変わったが、エクは市場で性奴隷として取引されようとしていた。
 サルマはとても良い主人だ。ほかの家のように、安い賃金でつらい仕事をさせたりしない。都の言葉を知らなかったエクに、きちんと読み書きを教えてくれた。それがどんなに稀有なことか、エクはよく知っている。そして、性奴隷として売られようとしていた自分を、偶然通りかかった彼女が助けてくれたことは、奇跡だと信じていた。

 エクは水の日に薬草店へ行くことを楽しみにしている。薬草店の主はイハブという名の寡黙な青年だった。初めて訪れた日は、一言も会話せず、持たされていたサルマからの伝言を書いた紙を渡しただけだ。それから、一年ほど、「こんにちは」と「さようなら」しか言わなかった。
「こんにちは」
 あいさつをしながら、中へ入ると、薬草をすり潰していたイハブが、同じように、「こんにちは」と返してくれる。昔はもう少し愛想もあったのに、と老婦人が独白しているのを聞いたことがある。エクにとっては、彼が愛想よくしている姿を想像することは難しい。
 店内にある丸椅子へ腰かけ、エクはイハブが用意していた薬とともに、クヴァッキーニと呼ばれる丸い揚げ菓子が入れられるところを見た。立ち上がって作業台へ近づくと、彼は一口で食べられる大きさになっているクヴァッキーニを一つ、口の中へ放り込んでくれる。
 エクは笑みを浮かべながら、イハブを見上げた。この丸い揚げ菓子をもらった時、エクはサルマにも一つだけ残した。彼女から聞いた話によると、この甘くて丸い菓子は、行商人達が祝いの席のために作る貴重なものらしい。
 食べ終わった後、礼を言い、エクは肩に下げていた袋を広げる。イハブから手渡された薬とその上に転がる丸い菓子を数えて、小さくほほ笑んだ。
「そこ」
 イハブの声に顔を上げると、彼の指がくちびるの下を指す。エクは自分の指先でくちびるの周りを拭い、指先についた白い粉をなめた。故郷の雪のように白い粉は、甘く口内へ広がった。


15(第1部・約5年前) 17

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