spleen82/i | ナノ


spleen82/i

「デザートもあるから、無理して食うなよ」
 志音の言葉に頷く。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 志音の母親がすぐに立ち上がり、大広間から玄関ホールへ向かう。明史が慌てて立ち上がろうとするのを、志音が制した。彼の祖父が笑いながら、「慌てんでいい」と声をかけてくれる。
「ただいま」
 三人がおかえりなさいと言うのを待って、明史は立ち上がり、頭を下げた。
「お邪魔しています」
 志音の祖父も父親も、くっきりとした顔だちをしている。志音より若干、柔らかな雰囲気の父親は、明史を見て、「大友明史君、はじめまして」と握手を求めてくる。大きな手は父親を連想させる。手を差し出すとぎゅっと握られた。
「そのサマージャケット」
 再び席に着くと、志音の父親が言った。
「志音のか?」
「あぁ。もう着れないけど、気に入ってたから置いてたやつ」
 いつの間にか並んでいたプリンから視線を上げて、明史は志音を見つめる。彼はこちらを見ると、嬉しそうに笑った。彼の手が伸びて、明史の髪をなでていく。彼はいつでもどこでも、触れてくる。祖父母や両親の前でもそれは変わらないのだと思い知らされた。
「志音」
 小さな声でやめるように言っても、志音は笑っているだけだ。
「志音はなかなか聞かないわよ」
「上の子とは一回り以上、離れてるからなぁ。甘え癖も抜けてない」
 明史はつい苦笑した。志音と甘え癖という言葉はどうしても結びつかない。彼の祖父母も両親も、志音が自分に構う様子を見て、ほほ笑んでいた。志音の家族とは今日が初対面だが、彼らは嫌な顔一つ見せない。
 もちろん、当然かもしれない。感情をそのまま出すのは、子どものすることだ。若宮家のSP預かりになっている黒岩のことを、志音の父親が知らないはずはない。自分がどういう人間か知っていて、それでも、こうして迎え入れてくれているなら、と考えると、明史は涙を流しそうになる。
「プリン、おいしい?」
 母親に聞かれて、頷く。生クリームがたっぷりのっているカスタードプリンは、滑らかでおいしい。明史は一つで十分だったが、志音は二つ食べていた。
 その後も談笑しながら、夕食も含めて二時間ほどを大広間で過ごした。若宮家の人間は代々、初等部から学園へ入学しているらしく、学園の話題では共通の話ができた。志音の家族は明史が八組だと知っても、特に何も言わず、中等部から風紀委員を続けている明史のことを褒めてくれた。
 部屋に戻った後、志音に抱き締められる。
「疲れただろう?」
 明史は疲労をしのぐ興奮に、志音の背中へ手を回して、胸に顔を当てた。我慢しきれなかった嗚咽が漏れて、涙があふれる。ずっと望んでいたものだった。淡く、優しいオレンジ色の光の下で、家族と笑って話をしながら、ごはんを食べることを、長い間、夢見ていた。
 志音の祖父は、昔から風紀委員は嫌われていたと言って、四年連続で風紀委員になった明史のことを真面目で偉いと言葉にしてくれた。二年でも続けて、三年になったら、頑張って委員長になれ、と言われた。褒められたり、激励されたりして、その場で泣きそうなくらい嬉しかった。
 自分の家族ではないと分かっていても、たとえ、今日一日限りのことだとしても、志音が与えてくれた機会は、明史にとって一生、心に残る思い出の日になった。
 志音は泣き続ける自分をただ抱き締めるだけで、何も聞かない。幸せな気分のまま眠りたいと思った。嗚咽がしだいにおさまっていく。明史は志音の背中に回した手を、少しずつ緩めていく。最後に聞こえたのは、「おやすみ」という志音の低い声だった。


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