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 フェリクスがディスプレイに表示させていたのは、手書きソフトだった。ほとんどがキーボードでの入力に変わったが、手で書くという行為じたいは昔も今も変わらない。六月の読書週間で気に入った一冊を選び、夏休みの間に読書感想文を書くという課題がある。
 読書感想文は必ず手書きでなければならない。手書きソフトを使って感想を書き、優秀な物は紙へ印刷されて、地区コンクールへ出される。手書きソフトには専用のタッチパッドとペンがあり、創太は引き出しからそれを取り出した。
「まだ書くのは苦手だ」
 フェリクスはそう言うと、タッチパッドの上でペンを動かす。ディスプレイに表れた黒い線は歪だが、「創太」と読めた。息を吐くのも億劫になるほど、創太はどきどきしていた。
 先ほどのオニキスに例えた話の後に、練習する文字が自分の名前だなんて、明瞭過ぎる。これまでの密着具合も考えると、フェリクスは自分のことが好きだということになる。ただ、そう過信するほど、創太は楽天家ではなかった。
 勘違いしていたら、立ち直れない。自分の容姿は誰よりも分かっている。万が一、付き合うことになっても、フェリクスは交換留学生になるような立派な生徒であり、自分が釣り合うとは思えない。
 少し状況は違うが、完璧過ぎる兄を持つ明史の心境を考えた。ずっと一組の長男と八組の次男は両親からどんなふうに見られているのだろう。それを考えただけで憂うつになりそうだ。
「だ、大丈夫。全然、いける。読める」
 無難な言葉を言おうと思ったら、自分のほうが片言しか話せないような話ぶりになる。フェリクスはそれでも笑みを浮かべていた。
「そ、創太、書いてみて?」
 創太はペンを受け取る。
「俺の名前でいい?」
「いい」
 創太がペンを動かすと、フェリクスが突然、手を重ねてきた。驚いて、手を止めると、ディスプレイに大きな点ができる。
「きれいに書きたいから、覚える」
 フェリクスにそう言われて、創太はそのまま自分の名前を書いた。彼の熱い手のひらを意識する。
「創太」
 書き終わって、ヘーゼルアイへ視線をやると、フェリクスの左手が腰を強くつかんだ。同時に握られていた右手が解放された。だが、すぐに彼の右手が創太の左頬に添えられる。
「目、閉じて」
 キスされる、と思うと、したいという気持ちと、ダメだという気持ちに挟まれた。創太が目を閉じないでいると、フェリクスの右手が頬をさすってくる。
「初めて?」
 緊張状態の創太は、素直に頷いた。早熟なクラスメート達はすでに付き合い、それがどういうものであるのか、あるいはその先にある行為はどうだったかを教えてくれた。恋愛事は自分に縁がないと思っていた。この学園を卒業したら、大学へ行き、そこでも縁がなければ、社会に出てから、と想像していた。
 もし、自分で見つけられなければ、両親が見合いを用意してくれる。恋愛から発展して生涯連れ添う人間を見つけることは、この学園に入学することより、はるかに難しい。
 フェリクスは指先で創太のくちびるをなでた。その後、両頬に二回ずつキスをする。思わず目を閉じた瞬間、くちびるに温かく柔らかいものが触れた。目を開くとブラウンのまつげが見えた。慌てて目を閉じる。
 変な気分だった。フェリクスのことが好きか、自問してみる。今日の放課後までは煩わしいと思っていた。ストレスを感じていた。好きかどうかは分からない。だが、触れたくちびるの感触は嫌ではなかった。


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