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edge43/i

 一弥としては、宮崎や志村を許す、許さないではなく関わりたくない、というのが本音だった。貴雄が彼らを潰したいという気持ちは嬉しいものだ。だが、内部で紛争が起こると必ず外から攻撃される。
 今の市村組の現状では、それを避けたいというのが弘蔵と敬司の思惑だろう。特に今は敵対している組織だけではなく、まだ警察からも厳しい監視が続いている。下手には動けない。
「ただ、一部の連中は違います。それはあなたも気づいているはずです」
 酒井の表情が険しくなった。一弥は手の中の携帯電話をテーブルへ置く。
「若頭はそういう連中も黙らせたいから、あなたに覚悟を決めろと言ったんです」
 たとえ本音が関わりたくない、であったとしても、自分はもう無関係なままではいられない。一弥はだからこそ、自ら飛び込んだ。状況は常に変化しているが、変わらないものを変わらないと嘆いているより、こちらが変わるほかない。
 もしかしたら貴雄への気持ちも、ずっと続いている異常な環境から作り出された幻想かもしれない。だが、それしか頼るものがなかった。
 居場所は貴雄以外の人間でも用意できる。敬司の用意してくれた居場所でも生きていける。ここには煙草もバニラアイスもある。一弥は視線を肩へやった。自分がいちばん欲しいものは、貴雄の手だ。
「芳川に囲われて生きても、いつか普通の生活に戻ることができます。だが、電話すれば、あなたは本当に戻れなくなります」
 酒井が心配して言ってくれていることは分かった。一弥は携帯電話を手に取る。
「酒井さん、ありがとう。でも、俺は戻れない。戻りたくない。あいつのいる場所まで落ちていいんだ。そうしないと、いけない」
 携帯電話を耳に当てると、しゃがれた声が聞こえる。名前を告げると、男は、「分かった」と言った。覚悟、という言葉を何度も言われ、一弥は何となく自分が今から何をされるのか理解した。
「芳川はきっと怒ります」
「いいよ」
 貴雄と同じものを背負うことで、彼と対等な立場になることができるかもしれない。敬司の思惑通りに動くのもあまり気乗りしないが、自分を認めさせるには、この方法がもっとも効果的だと思えた。
 酒井は一弥の瞳に怯えや諦めがないのを見て、静かにほほ笑んだ。
「不要な口出しでしたか。まぁ、私も後悔はしていないですが、痛いですよ」
 一弥は頷き、酒井とともに部屋を出る。まぶたの奥で、貴雄の唐獅子と赤い牡丹が浮かんだ。

 消毒液を使って乱暴に拭かれた背中に、電話で話した老齢の男が大まかな図柄を描き始める。くすぐったくて身をよじると、「動くな」と注意された。
 彫師の工房は都心部から車で三時間ほど北東へ進んだ農道沿いにあった。田舎というほどではないが、高層ビルやタワーマンションの並んだ景色ばかり見慣れた一弥には、十分田舎に思えた。
 工房の中へ案内され、刺青を入れる部位や模様を聞かれた。酒井は中まで入らず、一弥を彫師へ紹介すると、今後のことを伝えて車で走り去った。部位や模様によって異なるが、通常は手彫りであれば少なくとも完成まで三ヶ月は要する。
 一弥が背中に入れて欲しいと言うと、彫師は三ヶ月は通えと言った。図柄を決めると、彫師はさっそく仕事に取りかかる。
「一ヶ月くらいで完成しない?」
 彫師はうつ伏せの一弥の目の前にタオルを差し出す。
「背中が小さいからな……どうだろうな。早く終わるかどうかは、おまえの忍耐にかかっているとしか言えない」
 一弥がタオルを噛むと、彫師は笑った。
「本当は慣れるまで両手両足を縛るんだが、敬司さんからおまえは根性があるから、縛る必要はないと言われた」
 一弥は敬司が自分を買いかぶり過ぎているように思えたが、そうではなくて、過度に期待を寄せ、うしろへ下がらせない作戦のようにも思えた。実際、彫師からそう言われると、これから始まる筋彫りの痛みに何が何でも耐えなくてはいけないという気になる。
「ま、暴れたら縛るから」
 彫師は軽い口調で言い、ノミを手にして一弥の背中へ当てた。


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