edge29/i | ナノ


edge29/i

 貴雄からの接触を待ちながら、実際、彼のことを受け入れられるかどうか分からなかった。彼が与えてくれた心地よさを思い出そうと思っても、一弥の体に刻まれたのは痛みだけだった。
 まだ悪夢を覚えている。スタンガンを当てられた時の衝撃や無理やりアナルへ入れられた時の痛みは、目を開いていてもすぐによみがえる。そこから救って欲しくて、貴雄の手を思い描いた。だが、その手が自分へ伸ばされることはない。
 キッチンで夕飯の支度をしていたマサの携帯電話が鳴り始めた。彼の声が緊張からか、どんどん小さくなっていく。電話をかけてきた相手が貴雄でないことは分かった。電話を切ったマサが青い顔でこちらを見る。一弥はコーヒーへ手を伸ばした。
「や、やばい、どうしよう、一弥さん、電話」
 マサは一弥と携帯電話を交互に見比べてから、動揺を断ち切るように、携帯電話をいじり出す。
「どうかした?」
 誰からだったのか、疑問に思いながら尋ねると、マサは一瞬だけ視線を上げて、また指を動かした。
「お、親父さんが、一弥さんに会いにくるって言ってるらしくて……どうしよう。俺、組長からは絶対、誰も近づけるなって命令を……」
 マサがおそらく電話帳から貴雄の番号を出そうとしている間に、インターホンが鳴った。彼は驚いて携帯電話を落とす。
「親父さんて、市村組の組長?」
「はい、どうしよう、どうしたら」
 一弥は立ち上がり、玄関へ続く廊下を歩く。うしろからマサが追いかけてきた。
「一弥さん、ダメですって。まずはくみちょ、貴雄さんに連絡して……」
「でも、相手もう来てる。ここで俺が開けなかったら、あいつの立場、もっと悪くなるだろ」
 一弥が開錠して扉を開ける。老齢の男を想像していたが、立っていたのは貴雄より少し上くらいの精悍な男だった。彼のうしろにはスーツ姿の男達がついている。エレベーターホールで監視を務める男達は、マサと同様に慌てていた。
「おまえが一弥か?」
「はい」
 男は貴雄よりも背が高い。一弥は自然と彼を見上げた。陽に焼けた肌は彼を強靭に見せる。彼が市村組組長の市村弘蔵ではないなら、その実子で市村組若頭の市村敬司なんだろう、と想像はついた。
「親父が連れてこいってうるさいんだ。来い」
 有無を言わせない男は、マサが止めに入ると、鋭い眼光を彼に向けた。
「下っ端がごちゃごちゃうるさい。貴雄には俺から連絡するから、よけいな真似すんな」
 靴を履いた一弥はマサを振り返り、彼に、「大丈夫」と声をかけた。だが、彼から不安な表情は消えない。一弥はもう一度、くちびるを動かして笑った。
 マンション前に停まっていた車へ乗せられ、一弥は改めて、男と向き合う。男は話しかけるわけでもなく、携帯電話を取り出し、どこかへメールを打っていた。しばらくすると、大きな屋敷が見えてくる。
 そこが市村組の本家の屋敷であることは一目瞭然だった。男は一弥に降りるよう促す。男達についていくように言われ、一弥は大人しく従った。昔ながらの日本家屋はずいぶん古びているが、手入れはよくされていた。一弥は広間へと案内され、座布団の上にあぐらをかいて座っている老人と向き合う。
 男は一弥を認めると、視線だけで男達を外へ出した。
「岸本一弥か。座れ」
 一弥が畳の上に正座すると、男は市村組組長の市村弘蔵であると名乗った。一弥は会釈して、弘蔵を見返す。彼は肘かけについていた手を伸ばし、グラスに入った水を一口飲んだ。
「会わせろと言っているのに、なかなか連れてこないから、少々強引だが来てもらったわけだ」
 そう言って弘蔵は喉の奥で笑うような声を出した。それはかすかにだが、一弥を馬鹿にするような響きを持っている。一弥は彼を凝視した。視線をそらせば負けてしまうと感じた。
「貴雄はなぁ、おまえにそうとう入れ込んでる。恋愛なんぞに首を突っ込みたくはないが、今回ばかりは黙って見過ごせない。おまえは、あのまま消えておくべきだった」
 一弥は拳を握り締めた。


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