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 つらつらと考えていると、玄関扉が開いた。まだ十五時前だ。一弥が寝転んだまま、視線だけをそちらへ向けると、入ってきたのは貴雄ではなかった。ブランドもののスーツを着た女性が我が物顔で進んでくる。そのうしろにスーツ姿の男がついて来ていた。
 一弥はさすがにソファへ座り直して、煙草の火を消した。男はおそらくエレベーターホールのところにいる見張り役だろう。一弥の知らない顔だが、他の男達と同じように蔑むような目つきで一弥を見ている。
 男が男に抱かれているなんて、彼らからすれば軽蔑の対象だろう、と予想はつく。それと同時に、蔑みの中に含まれている排他的な感情にも気づいていた。彼らには彼らの世界があり、一弥はその境界線をうろちょろしている存在なのだろう。彼らのボスである貴雄に構われて、調子に乗るなと思われているに違いない。
「貴雄さんと寝たの?」
 女性は突っ立ったままの状態で、一弥を見下ろしながら口を開いた。美人で気が強そうな、何となく貴雄の好みそうな部類の女性だと思った。一弥は質問にこたえようとしたが、その前にまた質問された。
「どうやってここを手に入れたの?」
 一弥がこたえようと口を開きかけると、女性はソファに座った。男は少し離れたところからこちらをうかがっている。
「貴雄さんがどういう人か、分かってるの?」
 一方的な質問ばかりで、女性は一弥にこたえる時間を与えてくれない。
「あの人は市村組組長・市村弘蔵の舎弟なの。彼自身、共永会のトップよ。私が言いたいこと、分かるかしら?」
 一弥はいまいち分からなかったが、気の強い女性が苦手なせいもあって、あいまいに頷いた。
「そう。話が早くてよかった」
 たっぷり一分は彼女と男を交互に見た。
「何してるの、早く出ていって」
 そこまで言われて、一弥はようやく理解した。これは貴雄から逃げる絶好のチャンスだ。自分を監視するはずの男もなぜか止めない。一弥は財布と煙草を持って、玄関で靴を探した。靴箱の中に油臭い運動靴がある。ほんの数日前まで履いていた靴は、当たり前だが、一弥の足になじんだ。懐かしい気持ちにさえなる。
 一弥は格子の引き戸を引いて、ホールへ出た。もう一人の男も何も言わない。エレベーターに乗り込み、一階へ降りた。エントランスホールは噴水と緑に囲まれている。初めて見たが、何の感慨もなかった。
 外まで出られた瞬間、一弥は立ち止まり、大きく深呼吸する。帰る場所は奪われていたが、自由だ。財布の中には銀行のキャッシュカードがある。彼女に頼まれた時は百万なんて大金はないと言ったが、あれは嘘だった。
 懸命に働いて、つましく暮らした分、二百万と少しの貯金がある。それに手をつけるしかないが、仕事と家を探すには十分な資金になるだろう。一弥はひとまず、ベランダから見た景色を思い出しながら、駅があると思われる方角へ歩き出した。

 駅前のATMから出てきた一弥は、ふらふらと植え込みのレンガの上に座った。財布はすぐに返ってきたはずだ。だが、一弥の口座から金が消えていた。財布の中にカードをしまい、一弥は所持金を確認する。
 三千円と小銭が少々しかない。これでは仕事も家も諦めるしかない。携帯電話もない状態では知り合いを頼ることもできない。もっとも、泊めてくれそうな知り合いはいない。
 住所を覚えている彼女のところへは行けない。サトウがどうなったのか知らないこともあるが、何より、彼女が自分を身代わりにしたことへの悲しみは数日で癒えるものではなかった。
 一弥は途方に暮れながら、夕陽が沈んでいくところを眺めた。夏に向かう季節の中で、夜でも汗ばむ日が多くなる。冬よりはましだと思い、一弥は立ち上がった。両親を亡くした時は小学生とはいえ、まだ幼かった。そのせいか喪失感はあったと思うが、そこまで強く残っていない。
 だが、今回は違う。自分で築いてきたものがなくなった。また空っぽになった。羽織っていた薄手のシャツの袖口から、手首が見えた。そこには昨夜、拘束された痕が残っている。
 縛られてしまいたいと、一瞬でも考えた自分を恥じるように、一弥はその場で目を閉じ、拳を握り締めた。


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