falling down48/i | ナノ


falling down48/i

 そのまま眠ってしまったと分かったのは、目が覚めた時だ。シェードランプの明かりで見える壁掛け時計を見ると、明け方の五時を指していた。レアンドロスはいつも通り、隣にいる。トビアスは右手の薬指にある指輪を確認した。指輪をもらったことが夢で、今から十二月二十五日が始まるような錯覚を覚えた。
 だが、指輪があるということは、今日は二十六日だ。トビアスはそっとベッドを抜け出し、トイレへ向かった。眠気はすっかり消えて、キッチンでオレンジジュースを飲んだ後、ソファへ座る。テレビでも見ようとリモコンを持った時、炎の消えているモミの木に視線が留まった。
 炎が消えても、誰かが灯してくれる、と教えてくれたのは誰だっただろう。とても懐かしい声なのに、誰なのか分からない。父親に会ったことはないが、それも忘れているだけで本当は会ったことがあるのだろうか。トビアスは立ち上がり、レアンドロスの部屋の扉を開けた。
 レアンドロスの部屋に入ってはいけない、と言われたことはない。ノースフォレストの寄宿舎にあった私物が一部、置いてあると聞いていた。ベッドの反対側には壁一面に本棚があり、トビアスは窓のある右奥から順番に本を見て回った。
 並んでいる本のタイトルを見てみると、レアンドロスは大学で物理学を専攻したいのだと分かった。トビアスの視線より少し高い位置に、横向きになっている文庫が見えた。ずいぶん読み込まれた詩集だった。
 手に取ると、一ページ目に栞が挟まっており、それが落下した。トビアスはしゃがんで栞を拾う。押し花の栞は可愛らしく、モチーフになっているのがピンク色のガーベラだったため、ますます愛らしかった。
 詩集の最後のページにも同じような栞が見え、トビアスは栞を抜いた。そちらはガーベラではなくコスモスだった。
「……これ」
 きれいだと思った。もらった時と同じように、きれいで、自分にはもらう権利なんてないように思えた。トビアスは頭痛に顔をしかめる。栞と並んで入っていた封筒から便せんを取り出した。住所だけが書かれている。万年筆で書かれた温かみのある筆跡だった。
 トビアスは頭を押さえながら、文庫があった棚を見上げる。三つの封筒が紐で縛られていた。自分宛だと知っていた。差出人はフランク・オーブリーとなっている。
「……オーブリー先生」
 あふれる涙を拭いながら、トビアスは詩集と封筒の束を手に持ち、リビングへ戻った。ソファに腰かけて、紐を外し、ペーパーナイフで封を切っていく。
 全国試験の結果が出た後、トビアスはオーブリーへ手紙を書いていた。送付した手紙はその一通のみだが、オーブリーから返事は来なかった。妻の介護で忙しいのだろうと思っていた。彼からの三通の手紙のうち、一通目はトビアスの手紙に対する返事とAランクを取ったことへの祝辞が並んでいた。
 トビアスはあふれる大粒の涙も拭わず、二通目、三通目と読み進める。どちらも彼の近況報告とトビアスの身を案じる手紙だった。返事がないことを心配しているが、返事を書く暇もないほど充実した生活を送っているのだろう、と彼なりの言葉で書かれている。
 手紙を胸に抱き、トビアスは嗚咽を漏らした。胸が潰れるほどの慟哭は、オーブリーからの手紙だけのせいではない。にじんだ視界の先にあるモミの木を見て、トビアスは自分がどうしてここにいるのか、すべての経緯を理解した。すぐに立ち上がり、キッチンへ向かう。
 包丁を手にした。自分を取引の材料にした母親の死、空港でのトミーとの再会、モミの木が乾燥するまでには顔を見せると約束したジョシュア、そして、進学せず、もう王子ではないと言ったレアンドロス。
 トビアスは混乱していた。だが、自分では混乱していると思わなかった。これまでの記憶を順番に思い出せるからだ。包丁を右手に握り、その切っ先を左胸に当てた。震える手の薬指には、プラチナの指輪がきらきらと輝いている。
「……ぅう、っ、うう、レア」
 レアンドロスがどれほどの犠牲と寛容さでもって、自分のそばにいるのかを知った。トビアスにとって、愛とはその人の幸せを願うことだった。だからこそ、彼から離れなければならないと思っていた。この指輪を置いて、ここを去ればいい。
 トビアスはその場にしゃがみこんだ。薬指の指輪に触れながら、まだ四ヶ月ほどしか過ごしていない、この別荘での思い出を噛み締める。ジョシュアもレアンドロスもトビアスが味わったことのない優しい思い出を与えてくれた。知識という光を失った自分に、何度も教えてくれた。
 包丁を持ったまま、トビアスはリビングに落ちている手紙と詩集を拾い上げる。オーブリーが最初の授業で紹介した詩人だった。彼の言った通り、トビアスのために火を灯し続けてくれた人間が二人もいた。


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