on your mark番外編16/i | ナノ


on your mark番外編16/i

 あいさつをして、敦士は身支度を整える。冷蔵庫からミルクを取り出すと、直広がハムエッグを乗せた皿をテーブルへ置いた。彼はすでに食べ終わっているようで、トーストしたマフィンとバターを用意して、アイロン台を出した。
「午後から出かけるんだよね?」
 テレビの音量を下げた直広は、敦士の制服シャツや遼と史人の衣服を運んでくる。
「うん。遼パパはもう事務所?」
 直広は頷き、アイロンがけを開始する。その様子を見ながら、敦士は食事を取った。母親や父親を恨むことなく育ったのは、直広のおかげだった。母親の行き場のない不安や焦燥を受けとめたのは自分だと思うと、体に残る傷痕を見ても許そうと思えた。
 遼はあまり関わらせないようにしていたが、敦士は仁和会や市村組の構成員と、おそらく直広以上に会っている。十六歳の時、敬司の口から父親のことを聞いた。会いたいと思ったことはない。かつて直広に言ったように、自分にとっての父親は直広であり、遼であった。
「夕飯の買い物、一緒に行こうか?」
 いつも荷物持ちとしてついて行く敦士は、夕方までには帰ってくると続けた。
「大丈夫。あやとゆっくり行っておいで」
 朝食を終え、敦士は直広にもアイスカフェオレを入れる。ソファへ座り直し、「相談したいことがある」と切り出した。直広はアイロンを止め、向かいに座る。
「進路のことなんだ」
 史人が医学部を目指していた頃から、敦士も当然、同じ学部へ行くのだと思われていた。経済学部へ行きたい、と言うと、直広は特に驚いたりせず、笑みを浮かべて頷く。
「あーくんの好きな学部でいいと思うよ」
 敦士は足を組み替えた。学部についてはそう言われると予想していた。
「卒業したら、市村組へ入る」
 市村組、と聞いて、直広は持っていたグラスをローテーブルへ戻した。
「それって」
「遼パパと同じ世界に入る」
 直広はしばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。
「もし、遼や敬司さんへ恩を感じてて、恩返しのつもりなら、その選択は違うよ」
「そうじゃない。恩返しとかじゃない。直パパにも感謝しきれないくらい、恩を感じてる。だけど、俺が市村組へ入りたいのは、大事な人達を守る力が欲しいからなんだ」
 納得できない、と言葉にせず、直広は視線をそらした。
「その道しかないの?」
 にじんだ声で聞かれて、胸が痛んだ。仁和会はいずれ優達が担っていく。敬司から市村組の展望を聞かされ、自分もそこにいたいと思った。直広や遼が嫌がると分かっている。それでも、敦士には守る力と同時に、自分は実父のようにはならないという証明が必要だった。
 自分のためでもある、という心境を告白すると、直広は泣きながら、「遼が悲しむ」と訴えた。泣きやまない彼の隣へ座り、肩を抱く。
「ごめん」
 直広は首を横に振り、「考え直して」と言う。考え直す気はないが、このままだとずっと泣き続けるだろうと思い、「経済学部へ進学するのはいい?」と尋ねた。直広が涙を拭きながら頷く。
「ありがとう」
 抱いていた肩をぎゅっと抱き締めてから、敦士はグラスを手にする。カフェオレを一口飲み、少しずつ理解を得ていくしかないと思った。
「あやと一緒じゃなくていいの?」
「医学部は俺には向かない」
 直広は目尻の涙を人差し指で拭い、苦笑する。彼は何かを言いかけて、口を閉じた。少しの間、言葉を探した後、彼はもう一度、口を開く。
「大事な人達の中に、遼と俺は入ってる?」
「うん」
「なら、俺達のことはいいから、史人のことを考えてあげて。敦士はあやの嫌がることはしないよね」
 最後の言葉に含みがあり、直広はもしかすると、史人へ抱いている気持ちを知っているのかもしれないと思った。敦士は、「あやの嫌がることはしない」と小さく繰り返す。史人が難色を示したら、別の道を選びそうな気がした。そんな弱い決意ではないのに、自分を弱いと感じる。
「敦士、今から一つの進路に決めなくていい。まだその時じゃない」
 直広の言葉に頷く。
「俺のこと嫌いになった?」
 癖になっている言葉でつい聞いてしまう。直広は笑みを浮かべ、「たとえ最終的な結論が市村組へ入るだったとしても、嫌いになんかならないよ。ただ心配してるだけ」とこたえた。
 昔のように、体を横にして、直広のひざの上に頭を乗せる。目を閉じると、彼が髪をなでてくれた。進路も恋愛もすぐに結論を出すべきものではない。敦士はもう大人の気分でいたが、高校を卒業するまでは、まだ子どもでいてもいいと思った。


番外編15 番外編17(敦士との恋愛編/史人視点)

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