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 高岡といる時はあまり感じないが、市村には威圧感があった。史人がいるから、怯えを見せないようにしているものの、彼は気づいている。
「いや、すぐに帰るからいい。俺はおまえに会いにきたんだ」
 市村はそう言って、直広に座るよう促した。向かいに座ると、彼が口を開く。
「覚悟はあるのか?」
 直広は何の話か分からず、かすかに首を傾げた。市村は室内を見回し、息を吐く。
「まさか自覚してないのか?」
 彼は驚いた後、声を立てて笑った。
「何だ、遼も人のこと言えねぇな。まぁ、俺の親父は古いタイプの人間だから、やっぱり男同士っていうのは抵抗があるみたいだが、一弥が前例を作ってるからな。たぶん納得するだろう」
 立ち上がった彼は、「邪魔したな」と玄関へ向かう。
「え、あの、もう帰るんですか?」
「あぁ、すぐ帰るって言っただろ」
「おじさん、ばいばい!」
 史人の声に市村はほほ笑む。
「可愛い子だな……おまえには似てないが」
 直広はその言葉の真意を図りかねて、あいまいにほほ笑みを返す。
「あの子は母親似だと思います」
 高岡からも一度だけ言われたことがある。史人は直広には似ていなかった。まだ小さいため、雰囲気で誤魔化せるが、健史を知っている人間であれば、史人は健史に似ていると言うだろう。市村は特に返事せず、靴を履いて出ていく。
「落ち着いたら、顔を出せと言いたいところだが、遼はおまえが関わることを望んでなさそうだ。もう少し話し合ったほうがいい」
 直広は市村が帰った後もエレベータードアを見つめた。関わることを望んでいない、と言われて、気分が晴れない。だが、期待している自分には、適切な言葉だ。高岡へ自らの望みを、衝動的に言わなくてよかったと思った。もし、言っていたら大恥をかいていただろう。

 直広は部屋へ戻り、夕食の用意を始める。史人のためにこの生活を守る。高岡が求めれば抱かれる。ここへ来ない夜は、他の人を愛しているのだろうか。自分に施すのと同じ愛を、誰かに与えているのだろうか。
「パパ、おこってる?」
 米を研いでいた直広は手をとめる。
「怒ってないよ」
「こわいかおだった」
 直広は首を横に振る。
「全然、怒ってない。ただ……」
 辛い、という言葉を飲み込み、直広は米を洗った。あの頃に比べれば、今の生活が辛いなんて言えない。
「りょうだ!」
 クレヨンを持ったまま、史人が玄関のほうへ駆けていく。直広も手を拭い、そちらへ向かった。高岡は白いシャツの袖を上腕部までまくし上げており、駆けてきた史人をたくましい腕で抱え上げる。
「史人、絵を描いてたのか?」
「うん、りょうもかいたよ」
「見せてみろ」
 こちらへ来た高岡は、「敬司さんが来たんだって?」と話しかけた。直広は頷く。
「あの」
 ウィスキーの名前が思い出せず、直広はキッチンボードの下からブラントンのボトルを取り出した。
「これを飲んで帰られました」
「あぁ。へぇ、うまいじゃないか、史人」
 褒められた史人は嬉しそうに笑う。
「パパとあーもいるよ」
 絵の説明を受けながら、高岡は不意にこちらを見て、それから笑った。直広はぎこちなく笑みを浮かべ、キッチンへ戻る。市村は、覚悟はあるのか、と聞いた。何の覚悟だろう。捨てられる覚悟だろうか。


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