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 高岡は香港に行っている、と藤野から聞いていた。いつ帰ってくるのかは知らなかったが、いずれにしても週末以外に彼がここへ来るのは初めてだ。直広はタオルで口元を拭った。ソファへ少しだけ近づき、なるべく明るい声でこたえる。
「夜、食べすぎたみたいで、気持ち悪くなったんです……」
 高岡は指先でとんとんと、ソファを叩いた。隣へ座れ、ということらしい。直広は彼の左へと座る。伸びてきた指先は冷たかった。彼は両手で直広の頬へ触れ、親指の腹で目の下を優しくなでていく。
 あまり詮索するほうではないが、香港へ行ったと聞いた時、直広は藤野へいくつか質問をしていた。高岡は日本人の父親と中国人の母親との間に生まれ、十八歳の頃までは香港にいたらしい。そのため、彼は日本語のほかに広東語と英語を操る。
 市村組系の中では最年少で仁和会という組織のトップになった高岡には、苦労も多かったようだ。仁和会はもともと小野という男がトップだったが、麻薬に手を出したあげく、共永会を潰そうと企てた。
 高岡は若い頃から頭角を現し、市村親子から可愛がられている。小野はそれが気に入らず、高岡には危険なことばかりさせていた。彼が冷酷だと評されるのは、その頃、処理してきた数々の危ない仕事の存在があるからかもしれない。
 直広は高岡の腕へ手を伸ばす。間近で見る彼の瞳には色濃く疲れがあった。ここ数日の疲れではなく、蓄積されてきた疲労だ。
 仁和会は小野の件があった二年ほど前、高岡と数名を残して、ほとんどの者が市村組と舎弟組織へ流れた。組織を再編成させ、束ねていくという大仕事がどんなものか、直広には想像もつかない。
「食べすぎ、か」
 高岡は嘘だと分かっているようで、苦笑した。ローテーブルの上からウィスキーが入ったロックグラスを取った彼は、一口だけ飲む。
「ここで、上に乗れって言ったら、乗るか?」
 ロックグラスを戻して、高岡は左手で直広の腰から下をなでた。もし、史人が起きたら、と思ったが、直広は体を動かす。高岡の太股をまたぎ、彼と向かい合った。まだ彼のペニスは熱を持っていない。
 直広の呼吸は少しずつ乱れた。どうすればいいのか分かっている。彼の太股から下りて、床へひざをつき、口で奉仕すればいい。体を動かすと、彼の腕が背中へ回る。子どもをあやすように背中をなでられた。
「悪かった」
 謝罪の言葉で、高岡にその気はないのだと分かった。直広は遠慮がちに触れた彼の肩へ手を回す。週末だけの愛人だ。だから、彼の要求にはこたえなければならない。
「今日は眠りにきただけだ。史人のほうで寝るか?」
 耳元で低く響く声に、直広は頷く。そのまま抱かれ、部屋へと入った。高岡は直広を寝かせた後、リビングダイニングのほうへ出ていったが、少ししてから戻ってきた。直広の隣へ寝転び、彼の腕の中へ抱き寄せられる。
 直広は自分が愛人の一人であることを自覚していた。聞こえないふりをしていたが、このマンションへ来る前に、宮田が言っていた言葉から、以前、ここには女性が住んでいたのだと確信していた。
 高岡には他にも囲っている人間がいる。藤野は明確に言わないが、直広も鈍感ではない。大勢の中の一人であることより、たとえ一日でも自分を抱くことを選んでもらえて嬉しいと思った。
「直広、泣いてるのか?」
 直広は寝たふりをした。高岡の指先が髪をなでる。彼が欲しい。だが、直広は子どもではない。分別を弁えた大人だ。史人でさえ、欲しいものがあっても、貧しいと分かっているから、わがままを控えていた。
 高岡の腕から離れ、直広は史人を背中から抱き締めた。寒い夜は互いの体温を感じながら眠っていた。高岡が直広をうしろから抱き締めてくる。
 直広は史人と彼に挟まれ、温かい幸せで満たされた。これ以上に望むことなど、何もない。一時の幸せでも、思い出として覚えていられる。史人にとっても、ここでの生活はいい思い出として残るに違いないと思った。


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