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 自分が情けなくて涙があふれた。直広は歯を食いしばる。
「あや」
 ビー玉を握って遊んでいる史人を呼ぶと、彼はこちらを見て笑った。
「ここにいるのは少しの間だけだ。でも、どこにいても、おまえにみじめな思いはさせないから」
 自己満足ではない。ただ、史人の幸せだけを考えている。史人は少し首をかしげて「あー、パパといるよ」とこたえた。直広は彼を抱き締めて、額へくちびるを寄せる。
「パパも着替えよう」
 直広は立ち上がり、用意された新しい服を着た。上下とも少し大きいが、気になるほどのことではない。リビングダイニングへ戻ると、暖房を切っていたためか、少し寒かった。
「寒いね。暖房、入れなきゃ」
 直広が独白すると、史人は寒くないと言った。
「ほんと? じゃあ、弱めに入れておこうか。暑かったらカーディガン、脱ごうね」
 冷蔵庫の中には朝食用のパンやサンドウィッチが入っている。直広はオレンジジュースも一緒に取り出した。カウンターテーブルでは史人の背丈に合わないため、ソファセットのテーブルのほうへ朝食を運ぶ。
 キッチンボードにはプラスチック製のコップもあり、オレンジジュースはそのコップへ注いだ。床に座った史人の横へあぐらをかき、直広はサンドウィッチを袋から取り出す。
「おいしい?」
 頷く史人の頭をなでて、直広も一切れ食べる。
「チョコパンも食べる?」
「うん」
 直広は袋を開けて、史人へパンを渡した。
「パパは?」
「パパはもうお腹いっぱい」
 オレンジジュースを飲んで、立ち上がろうとした際に、直広は立ちくらみを起こした。しゃがんだつもりが、転倒するような形でひざと手をつく。
「パパ!」
 駆け寄ってくれた史人に、「大丈夫」と言った。
「ちょっと疲れてるだけ。史人、食べ終わったら、この家の中、探検しようか?」
「うん!」
 立ちくらみの原因は寝不足だろうと思った。直広は史人が食べるのを世話しながら、窓から見える眺望の端に置かれているテレビを見つめる。昨日はよく見ていなかったが、六十インチはありそうな大きさだった。
「映画館みたい」
 2LDKの部屋を史人とともに見て回る。もう一部屋を見た史人は、キングサイズのベッドに驚いていた。
「きょじんのいえ?」
 直広は笑いながら、首を横に振る。
「巨人は住んでないよ。きっと寝相が悪いんだ」
 史人はもう一人でもトイレへ行けるようになったが、今後は自分がいなくても、シャワールームではなくトイレへ行くように言い聞かせた。史人は少し口を尖らせた後、直広の太股あたりをつかむ。
「パパ、ずっと、あーといる?」
 楼黎会事務所の地下で、自分がいない間は便座に届かないため、シャワールームでするように言っていた。その必要がないと言えば、もちろん史人は直広がずっと一緒にいてくれると思うだろう。直広は頭をなでてやる。
「ここにいる間は、働けないから、ずっと一緒にいるよ。でも、パパはいずれ働きにいく」
「やだっ」
 顔を赤くして泣き始めた史人は、「はたらくの、いや」と声を上げる。直広は史人を抱え、ソファへ座った。嗚咽を漏らす彼の背中をなでてやる。できない約束はするべきではない。
 直広はいずれまた以前と同じように働きたいと思っている。働いている間、史人は託児所か保育園に預けるしかない。最初は厳しいかもしれないが、同い年の子達と触れ合うことも大切だ。
 少し落ち着いてきた史人に、「テレビ、つけてみようか?」と尋ねる。史人は小さく頷いた。鈴木のところで見せていた子ども向け教育番組を映した。先ほどまで嗚咽を漏らしていたのに、史人は画面を見て、笑みを浮かべた。直広はジュースを入れるために立ち上がる。


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