on your mark37/i | ナノ


on your mark37/i

 同じ思いを史人にもさせている。押し潰されそうな思いと戦いながら、直広は懸命に嗚咽を飲み込んだ。いつの間にか、隣に立った高岡が、ハンカチを差し出す。直広が受け取らずにいると、彼はしゃがんだ。
「痛い泣き方だな」
 高岡は苦笑して、直広の手にハンカチを握らせる。
「弟のことは残念だった。暴行に加担した奴らは全員、新崎の後を追ってもらおう」
 その言葉に、直広の涙は一瞬で止まった。高岡は彼らを殺すと言っている。弟殺しの嫌疑をかけられている直広だったが、殺人は非現実的な言葉でしかなかった。
「こ、ころす、ん、です、か?」
 高岡は口元を緩ませただけで、こたえなかった。史人のほうを見て、「彼はいくつ?」と聞いてくる。
「あ、三歳です」
「小さいな」
 直広は手にしていたハンカチで涙を拭い、「史人は小さいほうです」と苦笑した。高岡は立ち上がり、デスクへ戻る。
「今、用意させてる部屋だが、緑沢にある。優のところにある荷物は当面の生活費と一緒に明日、運ばせる」
 緑沢といえば新家沢、高沢といった高級住宅が建ち並ぶ地域だ。長屋に住んでいた直広には一生、縁のない地名だった。
「俺、すぐに働きます」
 生活費くらいは稼いで、貯金しておかないといけない。直広が言うと、高岡は動かしていた手を止めた。
「あの辺りで仕事、見つけるのは難しいな。それに当面は、買い物程度ならいいが、あまり出歩かないで欲しい」
 高岡の言葉を拒否できるはずもなく、直広は頷いた。
「たぶん、一ヶ月かそこらで片づく。クリスマス、年末年始と窮屈だろうが、状況が落ち着くまで待ってくれ」
「……分かりました」
 高岡は直広の返事を聞き、満足げな表情を見せた。疲れているのか、ディスプレイを見ながら、こめかみ辺りをぐっと指で押さえている。直広は借りているハンカチを握り締め、眠っている史人の頭をなでる。物事はいいように考えるべきだ。
 働かなくても、住む場所が与えられ、生活費までもらえるなんて、すごいことだと思った。たった一ヶ月くらいなら、突然できた長期休暇と考え、ゆっくりすればいい。史人と過ごす時間も増えるから、史人は絶対に喜ぶだろう。
 直広は高岡を見た。もしも、健史が生きていたら、と考えてしまう。
「健史は海に沈んだんですよね」
「……あぁ、普通はそうする」
 海に沈めて遺体が上がってこないようにするんだろう。直広は史人の体温を感じた。
「海だったらいいです。母さんの遺骨も海に散骨しました。どこの海であっても、つながってるから、きっと、健史は母さんに会えたと思います」
 高岡の仕事の邪魔をしないように、眠っている史人を起こさないように、直広は無言で涙を拭う。
「辛いな」
 高岡は一言だけ言った。直広の心情はその一言で表された。
 辛い。
 史人がいなければ、直広は自分も海に沈みたいと思った。母親のもとへ行った健史が羨ましい。昨日の後悔も明日の心配もする必要がない場所で、彼女に抱き締めてもらえたら、どんなに幸せだろう。
 軽く肩へ触れた高岡の手に気づき、直広は彼を見上げる。
「誰かのためにこらえているなら、泣いたほうがいい。一回、全部吐き出せば、すっきりするから」
 高岡の顔がにじんでいく。直広は嗚咽を漏らした。心の内に溜め込んだ言葉は出さなかったが、子どものように泣いた。高岡の部下達が泣き声を聞いて、入ってこようとした。高岡が視線だけでそれを制する。直広は彼のハンカチで目を押さえていたため、そのやり取りを見ることはなかった。
「パパ?」
 史人の声で、直広は嗚咽をこらえようとした。毛布ごと史人を抱え上げた高岡が、史人の寝ていたところへ座る。
「気が済むまで泣け」
 高岡は直広にそう言って、史人を彼のひざに座らせた。
「パパ、ないてるの?」
「おまえのパパは今、泣かないと壊れるから、放っておけ」
 冷たい物言いに聞こえるが、史人は、「こわれるの、だめ」と返事をしている。直広は嗚咽を漏らしながら、いつの間にか物怖じしなくなった史人の成長を感じ、嬉しく思った。


36 38

main
top


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -