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 熱いお茶はない、と言って、優は冷蔵庫から、冷えたミネラルウォーターを持ってくる。直広がキャップを開けて、三人のグラスへ注いだ。史人は取っ手がないとうまく飲めないため、直広は彼が飲む際にグラスを下から支えた。
「仁和会って知ってる?」
 史人が飲み終わり、直広はグラスをテーブルへ置いた。
「聞いたことないです」
「じゃあ、市村組は?」
 市村組であれば知っている。この地方一帯を仕切っているやくざだ。優は頷くと、「その市村組の傘下に三つの組織があって……」と説明してくれた。仁和会はその三つの組織の一つらしい。
「え、っと、なら、優さんはやくざ?」
 目の前にいる髪も染めていない好青年が、やくざだというのは信じがたい。だが、優はあっさりと、「そう」と肯定した。
「と、言っても、俺は共永会のフロント企業になってる土木建築会社で働いてる。事務所にはそんな頻繁に出入りしてないけどな」
 優の制服の胸元には、「株式会社 共信」と刺繍されていた。
「この辺りは昔から蓮堂組やほかの小さい組織がけっこう集まってて、揉め事も多かったんだ。深田さんを監禁してた楼黎会も大きい組じゃない。ただ、面倒を起こしてばかりで、こっちも放置できない状態になった」
 グラスのミネラルウォーターを半分ほど飲み、優は続ける。
「抗争はちょっと前からあったんだ。今回で決着できてよかった。あんまり長引くと、警察もうるさいからさ。事務所には深田さん達しかいなかったけど、クラブのほうに出てた人とか、別のマンションに監禁されてた人とか、宮田さん達が動いて保護してる」
 直広は自分のほかにも同じような目にあっていた人間がいると知り、胸が痛んだ。優の話では、新崎はあくどい方法で借用書を作っていたらしい。
「皆、仁和会であずかってる状態だから、深田さんも、ここにいること、あんまり気にしないで。最初に十日って言ったのは、借用書を吟味して、この後の借金をどうするのか、一人ずつ確認してるからなんだ」
 直広はひざに座っていた史人を軽く抱き締める。
「借金……」
 自分の借金ではないが、契約書には署名している。やくざの世界でどのような決まりになっているかは分からないものの、帳消しになるはずはない。どうにかして利益を得ようとするはずだ。
 またあんなふうに働くのは嫌だった。少しずつ返せる金額で組み直してもらうしかない。直広が思いつめた表情をしていると、優は苦笑した。
「大丈夫って言ってやれないけど、深田さんの借用書はちょっと違うらしいよ。とりあえず、今は借金のことは忘れて、体調を取り戻したほうがいい」
 優の言う通りだ。借金がどうなるにしろ、働かなければならない。一日も早く元気にならなければ、と直広は薬を飲んだ。
「あと、これと鍵」
 優は鞄の中へ手を入れて、封筒を取り出す。
「これで必要なもの、買って。これはここの合鍵」
「え?」
 一度、テーブルに置いた封筒を手にして、優は中身を確認する。
「二十かな? たぶん、史人君と二人分。買い物とか好きに行っていいよ。ただ、借用書の件がどうなるか決まらない限りは、いちおう監視役がついてるから、変なまねはしないほうがいい」
 直広は持たされた封筒をテーブルへ置く。
「こんなの、使えないです」
「どうして? それは使っても返せって言われないって。史人君に必要なもの、買ってやりなよ」
 優の言葉があってもなくても、直広は封筒を手にしていた。たとえ、この金を十倍にして返せと言われたとしても、今、必要な金だからだ。やくざからやくざに助けてもらい、返せるかどうか分からない金を手にする。
 みじめであわれな気分だった。それでも、自分は何があっても大きく構えていられるように気丈でなければ、と直広は心を奮い立たせた。


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