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 直広は狂ったように首を横に振り、猿ぐつわからくぐもった声を出した。時間は分からないものの、朝から非現実的すぎる現実を目の当たりにして、直広の神経はぎりぎりのところまで追い詰められていた。男が新しい契約書をテーブルの上に置く。
「パパ!」
 史人の声は涙で濡れていた。直広が力の入らない足で立ち上がり、史人のそばへ行こうとすると、男がもう一度、スタンガンを押しつける。
「っうー、ぐ、ぅう」
 あと一回、同じ衝撃を味わったら、今度こそ意識が飛びそうだった。直広の耳に史人の泣き声が響く。頬に傷のある男が、「署名してもらえないですか?」と軽い口調で尋ねてくる。涙と汗でにじむ視界の先には、男に拘束されている史人が見えた。史人に何かあったら、この先、生きていけない。
 直広は大きく首を縦に振る。手は初めから拘束されていなかった。だが、家の玄関で手首を蹴られ、携帯電話を落としてから、指を動かすと痛みを感じた。直広は差し出されたボールペンを握り、契約書に署名する。線が震え、がたがたの字になった。頬に傷のある男がうしろの男を見やり、うしろの男が懐から印鑑を取り出す。その印鑑は直広のものだった。
「通帳と学資保険の積み立て金は、利息分として徴収した」
 直広の署名の横に押印した男は、泣き続ける史人に舌打ちをした。史人を拘束している男が、部屋を出て行く。直広は立ち上がって、追いかけようとしたが、すぐに床へ押さえつけられた。
「まだ話は終わってない」
 こげ茶色の革靴は男のダークブラウンのスーツに合わせてあるようだった。直広は一刻も早く、この場から史人とともに去ることを考えた。部屋には布団の上に寝かせてきた健史もいる。墓を用意することはできないものの、母親と同じ海へ散骨してやりたいと思った。
「聞いてんのか!」
 ジーンズの男に腹を蹴られて、直広は仰向けになる。何度も受けた電気刺激のせいで、直広は正常な思考と判断力を失いつつあった。これも夢かもしれないと思い始めた時、また腹を蹴られ、猿ぐつわに血がにじんだ。
「おまえの借金は二千万ほどある」
 署名を終えている契約書が目の前で揺れた。利息についても記載があったが、今の直広にはそれらすべてを理解することなどできなかった。
「バイトの掛け持ちしてるらしいな。手取りで二十くらいか……弟みたいにちんたら返してもらうんじゃあ、困る。一ヶ月で返済できる方法、教えてやろうか?」
 頬に傷のある男は直広のそばへしゃがみ、薄く笑った。
「あのガキを使うんだよ」
 続いた言葉に直広は涙を流した。
「児童ポルノで稼がせれば、一ヶ月でラクになる。カメラの前で足開かせて、あとはああいうのが好きな連中の相手をさせればいい」
 直広は右手で猿ぐつわを外そうとした。子どものように涙と鼻水で顔を濡らし、口の拘束が少し緩んだところで、ようやく言葉を発した。
「おね、が、あやは、かんけ、な」
 呂律の回らない状態だったが、男は直広の言いたいことを理解していた。髪をつかまれ、そのまま顔を上げさせられる。
「おまえみたいにとうの立った男は売れねぇんだよ」
「おねが、いし、っれ、おれ、ん、なんでも、す」
 直広には史人を守ることしか頭になかった。何でもする、と言った直広に対して、彼らがその言葉を待っていたとも知らず、さらにもう一枚の契約書に署名させられる。そこには一日二十万稼ぎ、利息に十七万、元金に三万を当てるという内容が書かれていた。もし、二十万を稼げず、利息分を払えなかった場合には、翌日二倍の利息を請求できるという無慈悲で非合法なものだ。
 頬に傷のある男が、家には帰せない、弟の遺体については組で処分する、と話した。直広は健史を返して欲しかったが、誰かが頭をつかみ、床へ打ちつけた。その衝撃で直広は意識を失う。
 途中、史人の声が聞こえた。小さな手が自分の手を握る。大丈夫、と言ったつもりだった。史人の姿が健史へと変わる。健史が三歳の時、直広はまだ小学校の高学年だった。学校が終わったら、遊ぶこともせず、一目散に家へ帰る。夕方からパートに出ている母親と入れ違いで健史の面倒を見た。
 直広は小さな手を握り返して、守らなければ、と強く思った。


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