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 仕事が忙しい時間は疲れも忘れていられるが、客足が途絶える時間になると、立っていることも辛くなる。直広は厨房の隅で立ったまま、うとうとしていた。
「深田さん、大丈夫ですか?」
 厨房スタッフの一人に声をかけられ、直広は恥ずかしさから苦笑した。この喫茶店では直広が最も長く勤めており、店長からも皆の模範になるようにと言われている。
「ごめん。ありがとう」
 せめて今日、夜勤がなければよかったのに、と直広は思った。嘆いていても何も始まらない。オーダーが通り、電子音とともに伝票が出てくる。直広はその伝票をちぎり、調理に入った。

 家までは駅から五分ほどの距離で、働きに出ている場所も駅に近い。そのため、直広は自転車を持っていなかった。十九時に喫茶店の仕事が終わった後、夜勤は二十二時開始だから、そのまま喫茶店のロッカールームで眠っているほうがいい。いったん帰ってまたこちらへ出てくるという時間の無駄や交通費を出したくない。だが、直広は史人に会うためだけに一度、家へ帰っている。
 鈴木に長時間あずかってもらっているから、という理由もあるものの、彼女も時間と交通費を考えて、喫茶店からそのままインターネットカフェへ行けばいいのに、と言ってくれる。それでも、直広は史人との時間を作るために必死だった。
「あや、ただいま」
 鈴木にあいさつをし、中にいる史人を呼ぶと、彼は自分で立ち上がり、おぼつかない足取りでこちらまでやって来た。前に倒れる瞬間、抱き上げてやると、声を立てて笑う。
「すみません、また後で来ます」
 鈴木へ深々と頭を下げ、直広は自分の家の扉を開ける。
「なー、いる?」
「ごめんね。今日は夜勤だから、ごはん食べて、お風呂屋さんに行ったら、また鈴木おばあちゃんのところね」
 うぇ、と小さな声が漏れる。史人はぐずり始めた。夜勤がある日、彼はたいてい大泣きする。いつものことなので、嫌だ、と泣く彼を尻目に、直広は夕飯の準備を開始した。直広だってもっと一緒に過ごしたいと願っている。求人情報を見て、自分でもできる仕事を探している。
 だが、中卒の直広には非正規雇用の仕事しかなく、職種も選べないため、仮にあったとしても、時給も今とあまり変わらない。仕事を変えれば、最初の数ヶ月は研修時給になって、現在の収入より落ち込むことも考えられる。そうなると、払うべきものが払えなくなってしまう。
 必要な生活費を除き、直広が重点を置いているのは、毎月二万ずつ払っている史人の学資保険だった。史人が高校を出た時に、大学へ進むにしろ、他の道を選ぶにしろ、五百万程度の資金が彼のために用意されるプランを選んだ。
「はい、お口、開けて」
 キャベツとタマネギだけの焼きそばを、史人の口へ持っていく。史人は泣きながらも、直広の手をつかんで食べ始めた。最初だけ食べさせれば、彼は自分でフォークを持ち、食べてくれる。
 直広は史人専用のプラスチックのコップに、麦茶を注いだ。その学資保険のための金は毎月死守している。貯金は一万円ずつ、口座へ残していた。家計を苦しめているのは、健史の借金だ。友達に借りたというのは嘘で、おそらく消費者金融から借りている。いくらかは分からない。ただ健史は毎月だいたい三万から五万ほど、直広の給料から持ち出していた。
 泣きながら食べる史人に、直広は笑みを浮かべる。
「あや、来週の誕生日は休みだからね。おいしいケーキ、買って、食べようね」
 史人は口を動かしながら、頷く。
「欲しいものはある?」
 同年代の子ども達との交流がなく、テレビもない環境では、流行しているアニメのおもちゃなどは欲しがらない。鈴木のところでテレビを見ているようだったが、子供向けの教育番組しか見せていないようで、「おりがみ」と返ってきた。
 直広は史人の頭をなでる。
「じゃあ、きらきらした折り紙ときれいな折り紙、いっぱいプレゼントするよ」
「ほんと?」
 まつげに残った涙を拭ってやりながら、直広は笑う。少しの間だけ、史人を見つめ、それから、時計見て、口を動かしながら、銭湯へ行く準備を始めた。


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