on your mark番外編29/i | ナノ


on your mark番外編29/i

 黒と赤が基調の個室で、史人は運ばれてきた最後のデザートを堪能していた。敦士への電話は市村組会長である敬司からだった。食事の誘いであっても、たいていは敦士一人で出かけるが、今回は直広達がいないため、史人も一緒に来た。
 言葉にしたことはないものの、史人は一人での食事があまり好きではない。特に夜は、これまでずっと直広がいたから、敦士が用意してくれた食事を一人で食べる、という状況には不慣れだった。
 四川料理のコースで満腹だったが、甘い杏仁豆腐だけはまだ入りそうだ。敦士は敬司と香港にある会社との取引について話をしていた。手つかずの杏仁豆腐を、敦士がこちらへ差し出す。
「ありがとう」
 食事の最中に、敬司は史人のことを直広とそっくりだと言って笑った。余計なことに口出しせず、賢明だと褒めてくれたが、史人からすれば、香港の会社との取引や市村組のことはまったく分からない。口を出そうにも、あまりに見当がつかず、ただ食べることに集中しているというほうが正しい。
「ごちそうさまでした」
 市村組の車で送ると言われ、史人は敬司に頭を下げた。
「また都合が合えば、来たらいい。可愛い子にはおいしいものをいくらでも食べさせたいもんだからな」
 敬司はそう言って、声を立てて笑った。
「酒、飲まなかったな。まだしんどいか?」
 家へ送ってもらう途中、車内で敦士が尋ねてきた。史人は苦笑する。
「大丈夫だけど、昨日の今日じゃ、さすがに飲めなくて」
 敦士は頷き、窓の外を見つめる。横顔が急に大人びて見えた。
「あーくん」
 呼びかけると、彼はこちらを向いてくれる。
「さっき、株とか為替の話してたけど、香港に行ったりしない?」
 敦士は首を横に振った。
「今のところは、そういう予定ないけど」
「よかった。俺……」
 あーくんがいないとやっていけない、と言おうとして、それは彼を縛る言葉だと思い、留まる。
「どうした?」
「帰ったら、ケーキ食べる」
 敦士は、「そうだな」とこたえて笑った。

 気持ちを伝えたい、という思いを抱えたまま、史人は午前中の講義をすべて終え、友達と一緒に学食へ移動していた。昨晩も今朝も話をする時間はあったが、差し障りのない話ばかりをしてしまう。
 敦士の態度は以前とまったく変わらず、彼にとっては何でもないことのようだった。それが普通なのか、と考えながら、日替わりランチのチケットを購入する。
「深田!」
 先輩が周囲をうかがいつつ、小走りで寄ってきた。
「ちょっと」
 彼は列から史人を引っ張りだし、柱の影へ連れ込む。
「どうしたんですか?」
「どうしたって、おまえ、弟に俺達が付き合ってるって言ったのか?」
 史人は金曜の夜のことを思い出そうとした。
「うーん……あ、言ってないです」
 怪訝な表情のまま、先輩は史人の言葉を待つ。
「言ってないけど、付き合うのかって聞かれて、うんって頷いた記憶があります」
 先輩は頭を抱えた後、史人を柱へ追いやり、「おまえ、それは付き合ってるって言ったのと同等だろ」と低い声でうめく。
「弟に朝一で西門から拉致られて、兄を泣かせたら殺すって脅されたぞ」
「え?」
「付き合ってないって言ったら、兄の気持ちをもてあそんだのかって、睨まれて、ほんとに殺されるかと思った」
 彼は思い出したのか、青ざめた表情で小さく溜息をつく。
「とにかく、おまえから誤解だって説明してくれよ」
 史人はその言葉に頷き、友達から声をかけられまで、柱にもたれて考え事をしていた。


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