on your mark番外編23/i | ナノ


on your mark番外編23/i

 先輩の言葉に史人は水滴のついたグラスから手を離した。本命なんていない、とすぐに言うべきなのに、その言葉で一人、思い描いている人物がいる。史人は狼狽していた。これから先、解放していかなければならない人を愛している。それなのに、彼の瞳に自分以外の誰かが映るのは嫌だと思っている。
「分かった。ごめん。もっと飲むか?」
 史人は頷き、見せられた飲み物のメニューを見つめた。

 あの後、すぐに友達が来て、最後に敦士が登場した。壁に上半身をあずけていた史人は、敦士の姿を見て、手を振る。
「あーくん、こっち」
 テーブルの上を見た敦士は、先輩達へ向かって、「開始一時間も経ってないんですけど」と言っている。
「おー、弟君、来た? 飲んで、飲んで。今日は俺の失恋パーティーだから」
 先輩は史人の前にあった泡盛のボトルを取ろうとする。
「あ、まって、せんぱい、それ、おれの」
「あや、それ、飲んだのか?」
 まだ靴も脱がずに突っ立っている敦士へ、史人は笑いかけた。
「うん、じんせいはあまくないから、さけもあまくないの」
 自分の言葉に笑い出す先輩や友達を見て、史人も声を立てて笑った。敦士は靴を脱ぎ、扉を閉めると、「素面の奴は?」と尋ねてくる。医学部生六人全員が挙手した。敦士は彼以外の全員が手を挙げているのを見つめ、小さく息を吐く。
「試験も終わってないのに、のん気だな」
「試験? 何の試験だ?」
 敦士は漬物を食べながら、「三年は二週間後に組織学の試験があるでしょう?」とこたえる。
「さすが弟。おまえ、隠れ医学部だろ?」
「うちのシラバス、もってるもんね」
 史人が泡盛のグラスへ手を伸ばすと、敦士が注文していたソフトドリンクを差し出した。
「もうやめとけ。明日、頭痛でひどいことになる」
 史人はオレンジジュースのグラスを手にして、敦士を見つめる。だし巻きタマゴを口へ運ぶ彼は、史人の友達と話をしながら、かすかに笑みを浮かべていた。彼は昔からそうだ。自ら話しかけることはしないが、話しかけられたらちゃんと聞いて、こたえていく。
 寡黙だと言われながらも存在感があるのは、おそらく聞き上手だからだ。史人は敦士の横顔を見つめ、「かっこいいなぁ」と口にした。途端に、友達が、「ブラコンはおまえのほうだな」と冷やかす。
 敦士は店員に熱いお茶を用意させて、史人へ飲むように命じた。顔が熱いのはお茶のせいではない。酔っているという自覚はあった。
「あーくん、ケーキ、かってかえろ?」
 耳元でささやくと、「もう帰るのか?」と敦士に確認される。
「うん」
 鞄の中の財布を探す。
「いい。俺が出す」
 敦士は財布から一万円札を取り出し、先輩へ渡した。
「一人五千円もいってないって」
 先輩はそう言って、敦士へ返そうとしたが、敦士は受け取らずに、史人の腕を引いた。
「せんぱい」
 敦士に靴を履かせてもらっている間、史人は腰をひねってうしろを振り向く。
「ごめんね」
 先輩は軽く手を振る。
「あや、立てるか?」
 史人は敦士に支えてもらい、立ち上がる。寄り添うように彼の腕を取った。
「タクシー、拾うから」
 歩くのは難しいと判断されたらしい。迷惑ばかりかけている、と思ったのに、史人は甘えるように、「パティスリーソレイユがいい」と言った。
「分かった。寄っていく。気分、悪くないか?」
「きぶんはすごくいい」
 史人の言葉を聞いた敦士は、こちらを見てほほ笑んだ。


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