on your mark番外編27
短縮から呼び出した直広の番号を見つめ、史人は頭を抱えた。電話する前に胃腸薬とジュースを飲むべきだ。先ほどから頭痛はひどくなる一方で、そのくせ、ペニスへ与えられた刺激を思い出すと、右手が股間へ触れてしまう。
「どうしよう……」
史人は同じ言葉を繰り返した。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
敦士が帰ってくるまでに、今の状況にどういう態度を取るべきか考えなければならない。呼び出し音を聞きながら、ひとまず直広にどう話すか考えていた。だが、たったの二コールで、「もしもし?」と直広の声が聞こえてくる。
「あや、どうしたの?」
何か食べていたのか、直広はもごもごとした口調だった。
「あー、パパ、あの、今、大丈夫?」
「うん、お昼ごはん、食べてたところだよ」
直広のおっとりとした話し方を、昔は嫌っていた。今はどんなことにも動じない気がして、逆に頼もしく思ってしまうから不思議だ。
「どうしたらいいか分からなくて」
「うん」
「酔った勢いで、あ、友達のことなんだけど、酔った勢いで、もう恋人がいるかもしれない相手にキスしてって言った奴がいて」
史人は早口に言葉をつむぎながら、自分の股間へ視線を落とした。
「キスだけなら、笑い話だったかもしれないけど、そいつ、その、何ていうか」
「セックスもした?」
親へは言いにくい単語だったが、直広が先に口にしてくれた。
「そう、その、それはまだなんだけど、その寸前というか、もう酔った勢いで片づけられないというか……何てアドバイスしたらいいと思う?」
「相手の子に本心をちゃんと伝えればいいよ。酔った勢いで流せるような、生半可な気持ちじゃないって言葉にしないと」
史人は見えない直広に向かって、何度も頷く。
「分かった。そう伝える……ねぇ、俺のことじゃないけど、もし、俺がアドバイス求めたら、こんなふうに応援してくれる?」
直広は苦労してきた。その彼の息子が、息子同然の敦士を好きになったというのは、普通の状況ではない。難しい状況だ。孫の顔を見たいなんて言わないが、本当のところは分からない。親孝行はしたいものの、今できるのは、きちんと医学部を卒業することだけだ。
「史人、今のアドバイスは、もし自分の息子だったらって仮定して言ったんだよ」
携帯電話から聞こえてくる優しい声に、史人は泣きそうになった。
「あやも勉強はほどほどにして、今、できることは今のうちに楽しんで」
ありがとう、とかすれた声で伝えると、「ところで」と直広は声の調子を変えた。
「来週末の帰国予定、もう一週間、延ばすことになったから」
ノイズが混じったが、遼の「そうなのか?」と驚く声が聞こえた。
「そうなの?」
史人も聞き返す。
「そうだよ。再来週に帰るから、あーくんとじっくり話し合ってね。あんまり飲みすぎちゃダメだよ」
笑い声の後、電話は切られたが、史人はしばらくの間、耳に当てていた。
「パパ、今のどういう意味? 友達の……ことなんだけど……俺じゃないよ?」
すでに切れているものの、史人は弱々しくささやいた。直広は父親の直感で、自分のことだと分かっていたのだろうか。いずれにしても、時間をくれたのだから、敦士が帰ってきたら、向き合わなければならない。
そっとトイレの扉を開け、玄関のほうを見つめる。すでに十四時過ぎだ。敦士はおそらく優のところか、市村組へ顔を出しているのだろう。そろそろ帰ってくるはずだ。
史人は林の家に避難したい気持ちでいっぱいだった。何とかトイレから出て、部屋まで戻り、組織学の本を手にする。トイレの扉に鍵をかけ、便座へ座った。大きな溜息をつき、試験範囲へ視線を落とす。集中すればするほど、史人は頭痛と悩みを忘れていった。 |