きみのくに16 | ナノ





きみのくに16

 なかなか火がつかない葉巻を口へくわえたまま、ティトは先ほどから落ちてくる水滴に、葉巻を離した。自分がびしょ濡れであることに気づき、溜息とともに苦笑する。青と黒を混ぜたような霧の中で、舵を取れない船はさまよっていた。
 ティトが覚えている限りでは、この船は計画通り南下を続けていた。家族や友達は無謀なことはやめろと喚いていたが、ティトは反対を押しきって、原始の森を探す旅に参加した。生きて帰るようなことがあれば、海には端がないと言ってやりたかった。当たり前のように考えていた、「海は端っこで落ちる」という説は嘘だったからだ。
 とどろく雷鳴の後、また大粒の雨が殴るように降り始める。ティトは船内に入ろうとは思わなかった。船長をはじめ、一緒だった仲間達は皆、海へ投げ出され、ティトは一人になってしまった。
 助けようとしてロープや道具で傷ついた手足は、まだ出血している。この嵐で死ぬなら、それでいい。家族にはきちんと別れを言った。故郷に心残りはない。
「会いたかったな」
 いつか幼い頃に見た流れ星が、地平線の果てへ落ちていく様を思い出す。いまだ出会っていない愛する者のことを考えた。周囲には大げさだと言われてきたが、ティトは創世記にあるトキと精霊王のように、永久の愛を誓える者がいるのだと信じていた。
「次は会えるか」
 ティトは諦め半分で笑い、デッキの端へ腰を下ろす。葉巻の代わりに酒を取り出し、海水と雨を浴びながら、飲み干した。

 船旅に出てから、夢を見るようになった。その夢の中で、ティトは戦っている。手にしていた剣は、ティトの意思に応じて、変幻自在に形を変えた。夢はいつも同じだ。戦いを続けていると、仲間が来て、ティトへ刃を向ける。ティトは仲間に殺された。
 理由は分からないが、知らなくていいことを知ってしまったのか、属している仲間達との意見の食い違いだろう。意識が消えていく直前、ティトはそばにあった気配に、「おまえのくにへつれていけ」と命令していた。
 そこで目が覚める。その国がどこなのか、いったいいつの時代の話なのかさえ分からない。もしかしたら、創世記よりも前かもしれない、と夢を見るたびに、手がかりになりそうな景色や言葉へ注意を払おうと思うのに、夢が始まると、何も考えられなくなった。
 くちびるをなめるとせき込む。
 ティトは口へ入った砂の不快感に顔を上げた。白い砂が見える。息が苦しいと思った瞬間、喉奥から塩辛い水が出ていく。
「っう、うぐ、う」
 体が動かない。視界に入ったのは砂と波だけだ。遠くに船が見えたが、しだいにかすんでいった。

 誰かの手が額へ触れた。目を開けると、木を組み合わせた天井があった。穏やかな声が右から聞こえてくる。そちらへ視線を向け、ティトは息を飲んだ。
 そこにいたのは、大きな青い瞳を持った青年だった。長い髪を編み、うしろで一つにまとめている。笑みを浮かべながら、話しかけてくる彼に、ティトは見覚えがあった。だが、以前に会っている可能性はない。
 青年の言葉はティトの国の言葉ではない。聞いたこともない言葉だったが、読んだことはある。創世記に出てくる古代聖語と呼ばれるものだ。船に乗っていた仲間の一人が、アカデミーで研究していると言っていた。
 古代聖語はティト達が使っている言語のもとになったと言われているため、ティトは何となく青年の言いたいことは分かった。
「ここ……」
 海水のせいか、ティトの喉は十分に音を出してくれない。青年は安堵させるように、額へ冷たい手を当てて、「休んでください」と繰り返した。だが、休む前に明確にしておきたい。
 ティトは、「ヒイロ」と発音した。青年がよく聞こうとして、耳を近づけてくる。
「ヒイロ、ひ、いろ」
 顔を離した青年が、ティトを見て頷いた。
「ヒイロの森はもっと東のほうです」
 ヒイロと東という単語しか分からなかったものの、ティトは笑いながら涙を流した。
「やっ、いに、ついにきた、ここまで、やっと、う」
 青年は少し目を丸くした後、優しくほほ笑み、柔らかな布で涙を拭ってくれた。

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