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 藤野がノートパソコンを脇へ追いやったため、直広は恐縮した。
「あ、お仕事を……」
 仕事を優先してもらっていいと言おうとしたら、藤野は笑った。
「仕事じゃないです。大丈夫なので、どうぞ」
 直広は頭を下げた。一ヶ月ほどで片づくと聞いているが、その期間であれば、もう今から仕事を探すべきだ。特に年明けからはすぐに働きたい。史人はこれまで保育所へ行ったことはないものの、来年は四歳になる。懸念していた人見知りが消え、二年保育でもおそらく馴染めるだろうと感じていた。
 そのためにはまず先立つものがいる。本当は今からでも働きたいのだが、これだけよくしてくれている仁和会から、落ち着くまではここにいるようにと言われれば、それを守るしかない。直広はここにいながらでもできる仕事をしたい、と相談した。
 甘い考えであることは分かっている。直広には特に資格もなく、接客業にしか携わったことがない。そんな自分に家でできる仕事があるとは思えなかった。直広はそれを理解した上で、働きに出ていいと言われるように話を持っていこうと考えていた。
 直広にとっては史人が安全であればいい。高岡はマル暴は粘着質だと言っていたが、職場にまで来ることはないと思っていた。
「なるほど、史人君はまだ同い年の友達がいないんですね」
 藤野は頷きながら、脇に寄せていたノートパソコンを引き寄せる。
「この辺りだと、こことか、ここが近いです。うーん……」
 直広にディスプレイを見せながら、彼は別のウィンドウを開いた。
「二年の募集は少ないな……でも、何とかします」
「え、あの、この辺りじゃなくて」
 直広は私立幼稚園の名前ばかりが並んでいるリストを眺める。
「それに、私立は経済的にとても無理です。面接とか受験みたいな感じだって聞いたことがあるし、とにかく、俺、働きにいかないと」
 直広の言葉に、藤野は首を傾げ、思い当たったと、手のひらを合わせる。
「すみません、昨日今日でばたばたしてて」
 彼は史人のおもちゃが入っていた袋が並んでいるソファのほうへ行き、紙袋を一つ持ってきた。中から封筒が出てくる。
「とりあえず当面の生活費です」
 その厚みに触れることさえできない。藤野は直広が受け取らないと分かり、テーブルの上へ置いた。
「優の言ってた通りの人ですね」
 藤野はそう言って笑みを浮かべる。
「働くのは無理だと思います。高岡が許さない。まだ癒えてない傷もあるんじゃないですか?」
 その指摘に、直広は視線をそらす。
「今は何も考えず、この生活を甘受してください」
「でも」
 直広の言葉を遮り、藤野が続ける。 
「あまり大きな声では言えませんけど、高岡は冷淡な人間です。そんな男が、史人君を抱き上げたり、ひざに乗せたりしているんですから、事務所は大騒ぎでした。あなたは、今の状況を利用してやるくらいの気持ちで、ちょうどいいですよ」
 立場や状況を利用するなんて、自分にはとうていできないことだったため、思わず笑った。
「史人君の様子を見にいきます?」
 直広は部屋へ戻り、服を着替える。藤野は高岡のことを冷淡な人間と言ったが、直広はそう感じなかった。彼の第一印象は、何だかとても疲れているように見えた。着替えを済ませ、部屋にあるクローゼットの前に立つ。クローゼットの扉に鏡がついていた。直広も疲れているように見える。目の下のくまへ触れ、小さく息を吐く。自分には不釣合いな服だ。
「用意できましたか?」
 直広は扉を開けて、藤野へ、「札束を体に巻きつけた気分で、落ち着かないです」と告げた。藤野は体を二つ折りにして笑い出す。
「深田さん、笑わせないでください。その服はそこまで高価なものじゃありません。普段着です」
 普段着かもしれないが、直広にとっては、一枚五千円のシャツでも高い感覚だった。藤野はひとしきり笑った後、プールまで案内してくれる。たくさんの観葉植物が並んだ先にある扉が開き、インストラクターと思われる男性の声と史人の笑い声が聞こえた。

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