約束
それは一本の電話から始まった。
「謙也、夏休み1週間ぐらい泊まりにきたらよかとよ。宿は心配しなさんな。俺のうちに泊まったらよか」
「ほんまにえぇん?おうちの人に迷惑とか…」
「母さんに話したら、たいぎゃな会いたがっとったばい。謙也が来んかったら俺が怒られるたい」
「…それやったら、お邪魔しようかな」
「そうしたらよか。…俺もはよ謙也に会いたかよ」
そんな電話を交わしたのが7月の初め。
夏休みに入るとすぐに、俺は千歳が住む熊本へと飛び立っていた。
空港へと降り立ち、荷物を受け取った後、迎えに来てくれるはずの彼の姿を探す。
「謙也!こっちばい」
その声のする方に慌てて視線を向けると、人混みの中、一人飛びぬけた身長のせいで目立つ千歳の姿が見えた。
電話で毎日声は聞いていたけれど、久々に見る彼の姿に泣きそうになりながら、荷物を抱え直し千歳へ向かって走り出す。
こうやって顔を見るのは何カ月ぶりだろうか…
中学を卒業した後、地元で進学すると言って九州へと帰ってしまった千歳。
休みの時は必ず会いに行くと約束し、毎日のように電話やメールのやりとりもしていた。
でも電話だけじゃ寂しくて、何度会いに行こうかと考えたことか…
会いたくて仕方がなくて夢に見たことなんて数えきれないぐらいある。
その彼が今こうして目の前にいることが信じられなくて、嬉しくて、走った勢いのままに存在を確かめるように彼に抱きついた。
「千歳っ、会いたかった!」
「俺も会いたかったばい!!」
そのまま抱きついた俺を、彼も抱きしめ返してくれる。背中に回した手で髪に触れながら、千歳が耳元で囁く。
「…ちょっと会わん間に髪伸びたたいね?よく似合っとる」
卒業の時に肩まであった髪は、今は背中に届くぐらい伸びていた。
その言葉に伸ばしてきた甲斐があったと嬉しくなりながら、少し身体を離して千歳を見つめ直す。
別れた時より、少し大人っぽくなった顔立ち、伸びた身長…
そのままじっと見つめていると、千歳の顔がゆっくりと近づいてき、唇に千歳の温度が重なる。
そっと静かに離されたそれに、やっと何をされたのか気付くが俺が文句を言う前にまた千歳の唇が重なった。
「…久しぶりに会ったから我慢できんかったばい」
誰かに見られたらと抗議する俺の言葉もさらりとかわされてしまう。
「じゃあ、まずは家へと案内するったい。…荷物はこれだけたいね?」
そう言うと千歳は俺の荷物を軽々と肩にかけ、空いている方の手で俺の手を繋ぐ。
こうして手を繋ぐことも久しぶりで、以前は恥ずかしくて振り払っていたその手をぎゅっと握り返した。
空港からバスを乗り継ぎ、千歳の家に向かう。
バスを降りて少しだけ歩くと、住宅街を通り抜けたところに千歳の家があった。
落ち着いた静かな場所にあり、こんなところで育ったのかと思うと、それすら愛おしくなる。
千歳と手を繋いだまま、家の中へと入る。
「ただいまー」
「お邪魔します」
その声に反応するように、廊下を走ってこちらへ向かってくる足音がする。
すぐに小学生ぐらいの女の子が顔を覗かせた。
「こんにちは。お邪魔してます」
「妹のミユキばい。ミユキ、こっちは…」
「おかあさーん、お兄ちゃんが彼女連れてきたったい!」
千歳が紹介する間もなく、そう大きな声で話しながら奥へと入ってしまう。
「…すまんね、挨拶もせんで…。後でよく言い聞かせておくばい」
千歳の兄としての顔を初めて見た。中学時代はあんなに怒られていたのに、家ではちゃんとお兄ちゃんしてるんだなと思うと、思わず笑いがこみ上げてくる。
千歳は何故俺が笑っているか分からないようで、不思議そうにきょとんとしていたが、深く尋ねてくることはなかった。
そんな顔も可愛くてさらに笑っていると、中へ上がるようにと促される。
その言葉に従い、靴を脱いで上がらせてもらったところで、先ほど奥へと走っていったミユキちゃんが誰かの手を引っ張りながら戻ってきた。
どことなく千歳に似た顔立ち、纏っている雰囲気はとても柔らかい、年配の女性だった。
一度写真で見せてもらったことがある。千歳のお母さんだ。
慌てて頭を下げて、挨拶をし、大阪から持ってきた手土産を渡す。
気に入ってもらえるだろうか。一週間もお邪魔するのに厚かましいと思われていないだろうか。
ここに来るまでずっと不安だった。千歳に会えることはとても幸せだけれど、千歳の家族に気に行ってもらえるかどうかが心配でたまらず、何度も千歳に相談もした。
千歳はそんな俺に心配するなと笑っていたけれど、緊張するなと言う方が無理だろう。
「そんな手土産なんて気を遣わんくてもよかったたいね。遠いところから良く来てくれたばい。何もないところだけどゆっくりしなっせ」
緊張で固まっている俺に優しく声をかけてくれる。
上辺ではなく、心から俺を気遣ってくれ、歓迎してくれるその言葉と表情にするすると緊張が溶けていく。
「ありがとうございます。お世話になります」
気に入ってもらおうと無理をするのではなく、自然と言葉が口をつき、笑みが溢れる。
受け入れてもらえたことが嬉しくて隣に立つ千歳を見上げると、ほら、心配する必要はなかっただろうと言わんばかりの笑顔で笑いかけてきてくれる。
そうして、また繋がれた手を穏やかな気持ちで握り返した。
→