――謙也を譲ってほしい。
確かに今千歳はそう言った。
突然のことに、すぐに言葉が出てこない。
突然…でもないか。あの全国大会の後より、千歳が謙也に惹かれていっているのは見て分かっていた。
その謙也が俺と付き合っている以上、いつかは言いだすことだと分かっていたのだ。
…ただ、それが今だと思わなかっただけで。

押し黙る俺に、千歳が笑みを崩さないまま更に言葉を重ねてくる。

「白石の視界に、世界が色鮮やかに見えとるなら、謙也くんは白石に必要ないったい。
 俺の方が、謙也くん必要としてっとよ。なぁ…譲ってくれんとね」

…笑っている?
まさか。
一見笑みを崩していないように見えるが、よくよく見ればその瞳は笑っておらず、その奥底で俺を睨みつけていた。
何故、お前が彼の側にいるのだと。
彼を必要としているのは、俺の方だと。
お前に彼は必要ないと、嫉妬に溢れた目で、俺を睨みつけていた。
譲れだって?
よくもぬけぬけとそんなことが言える。
譲ってほしいだなんて、微塵も思っていないくせに。
俺から奪い取るつもりでいるくせに。


――これは、千歳からの宣戦布告だ。


それに、謙也が俺に必要ない?
自分の方が謙也を必要としている?

馬鹿なことをいうな。
怒りで、目の前が赤く染まっていく。
怒りにまかせてそのまま声をあげようとしたとき、ガラッと音がし、教室のドアが開いた。
意識がそちらに向かい、視線をやると、委員会が終わったのか謙也がドアから顔を覗かせ、中へと入ってきた。


「蔵ー!ごめん、お待たせ。…ってあれ?千歳?なんや今日も来てたんか?………何かあったんか?」

俺と千歳の間に流れる空気が不穏なものであることを感じ取ったのか、眉を潜め、謙也がこちらを窺がっている。
さすがに謙也の前で、声を荒げて喧嘩をするわけにもいかず、―そもそも、謙也にそんな醜い俺を見せたくない―千歳への言葉を飲み込んだ。
ただ、千歳に対しての怒りが解消されたわけではないので、これ以上一緒に居たくもない。心配するようなことは何もないとだけ伝えると、早く謙也と帰ろうと乱暴な手つきで出していた教科書やノートを片付けていく。
そんな俺を気にすることなく、千歳が謙也に答えた。

「別に謙也が心配するようなことは何もなかとよ。ちょっと白石に話すことがあったけん、謙也が来るまで話してただけたい」

そう言うと、もう用事は終わったから、と立ちあがり、謙也が立っている方のドアへを近づいていく。
謙也の前を通る時に、軽く頭を撫でるとそのまま教室を出ていこうとする。
俺はというと頭を撫でるというただそれだけのことにも、嫉妬心を煽られてしまっていた。
日常でも俺以外が謙也に触れるのが嫌なのに、千歳のように好意をもっていれば…しかも先ほどのようなことがあれば、尚更だ。
あれは千歳の挑発だろう、冷静になれと必死に自分に言い聞かせていると、教室を出ていこうとしていた千歳が、ドアに手を掛けたまま思いだしたかのようにこちらを振り向いた。
そのまま歩みを止めて俺を見つめてくる。

「そうそう、白石。さっきの質問の答えやけど……府立四天ばい」

それだけ言うと、にっこりと笑って踵を返し、今度こそ本当に出ていってしまった。

「…もしかしてあいつ、府立四天受ける気なんか…?」

首を傾げた謙也を、堪え切れずに腕を掴んで引き寄せる。

「ちょっ…蔵…!?」

謙也が慌てたような声を上げるが、それに構わずそのまま強く抱きしめた。
千歳に盗られてしまわないように、きつく抱き締める。
府立四天だと?
俺たちが…俺と謙也が目指しているところと一緒じゃないか。
……謙也の為に進路を決めるほど、それほどまでに側にいたいのか。
一時の気の迷いなんかじゃなくて、本気で謙也が好きで、謙也が欲しくて奪いに来ようとしている。
……そうはさせるものか。

千歳が、何がきっかけで謙也を好きになったかなんて知らない。
知ろうとも思わない。
千歳がどれだけ謙也を必要としているかなんて関係ない。
何があろうと、誰がなんと言おうと、俺だってもう謙也を手放すことなんてできないのだから。


昔から要領がいいのか、なんでもそつなくこなす子供だった。
何をしてもすぐにある程度はこなしてしまう為、何かに夢中になったり、何かに執着するということがなかった。
人でも、モノでもそれは変わらない。
夢中になることも、執着することもなかったから、何かを手に入れるために必死になったこともなかった。

――それは、酷くつまらない世界だった。

夢中になれるものが見つからない自分は、何かが欠けているのだろうと思ったが、それだけだ。
だからと言って、変えようと動こうとは思わない。
世界はこのモノクロのままで、大人になろうとそれは変わらないのだと。そう思って日々を過ごしていた。
成長するにつれ、テニスという打ち込めるものが見つかったが、世界は相変わらず、モノクロのままだった。

あぁ、きっと俺にとっての世界は、このモノクロのままでしかないんだ。

それが変わったのは謙也に会ってからだ。
まず目に飛び込んできたのは、強烈な金色。
一瞬で目に焼きついた。
世界が白黒だった俺に、それは酷く眩しいものだったが、ずっと見ていたいと思えて仕方がなかったのを今でも覚えている
世界がモノクロにしか見えなかった俺に、謙也は他にもいろいろな色を教えてくれた。
こじ開けるでもなく、壊すのでもなく、気がつけば謙也はいつの間にか俺の心の中に入り込んで、俺の心の真ん中に居座っていたのだ。

その時に俺は初めて、夢中になるということ、執着することはどういうことかを思い知った。
謙也が欲しくてたまらなかった。他の何もいらない。ただ謙也さえ側にいてくれれば、それだけで満足だった。
なりふり構わず謙也に迫り、恋人として側に居られる権利を得た時のあの感動は今でも忘れられない。
謙也が俺の側にいてくれるだけで、俺の世界は色を付け、輝いていった。

謙也が教えてくれなければ、世界がこんなにも綺麗だとは今も気付いていなかったに違いない。
いや、俺の世界はまだモノクロのままなんだろう。
ただ、謙也が側にいてくれる、謙也が関わるその時だけ、俺の世界は色をつけるのだ。
こんなにも綺麗な世界をみせてくれる君を手放すなんてそんなこと、できるはずがないんだ。
今まで興味も執着もなかったこの世界も、謙也がいるというだけで愛おしく思える。
この世界に君がいるという事実だけで、俺の心はこんなにも満たされるんだ。


そのまま抱きしめ続けていると、最初は恥ずかしがって暴れていた謙也も抵抗をやめ、抱きしめ返してくれた。
そのおかげで、やっと千歳に向かっていた気持ちが落ち着いてくる。
怒りはおさまったが、代わりに不安や焦りが俺の中を支配する。

――もし、この手が離れることがあれば、俺はどうなってしまうのだろうか。

謙也が心変わりするとは思っていない。
謙也はちゃんと俺を好きでいてくれる。
謙也の気持ちを疑ったことはないが、千歳の本気を見せつけられ、不安が胸を渦巻いていた。

もし、この手が離れてしまったら…
彼がいないこの世界で俺はどうしていくのだろうか……

謙也がいないと想像するだけで、恐怖が俺を支配する。
そんな考えを振り払うように、何度も謙也に口吻ける。
こんなにも愛おしい謙也を手放せるはずがない。
彼のいない世界は、俺にとって何の意味もないんだ。

キスを交わしながら、自分に誓う。
絶対に謙也を誰にも渡さない、と……。
この手を絶対に離さない。
この世界を守るためなら、俺は何だってするだろう。


君が教えてくれるセカイ。
それはとても色鮮やかな――…



20100623

20100623修正


6900HITを踏んでくださったなつか様に捧げます!!「蔵謙に、光か千歳が絡んだお話」ということでしたが、いかがでしたでしょうか?(ドキドキ)
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