giogio | ナノ





薄暗いバールのカウンタに女がひとりいた。ワインレッドのハイヒールを履いた足元が艶めかしい女。


ジョルノがこの店に入ったのは偶然だった。車で移動中、ひっきりなしに追跡と地味な攻撃を受けていてうんざりしてしまったのだ。大方、前ボス時代の支持者の残党が寄越した殺し屋だろうと当たりをつけ、目立つ場所で車を降りて先に戻らせ、すぐ目の前にあったこの店に入った。人のある程度いるところで相手の出方を見るつもりだった。

このネアポリスの通りに軒を連ねるどんな店も、ジョルノのことを知っている。彼は目礼をしてきた店主に、構うなと手ぶりで伝え、人々の間に紛れた。静かなピアノが流れる店内は、そこかしこの会話のざわめきに包まれている。

今日一日を休日にしていた彼女がそこにいるのをジョルノが見つけるのに、時間はかからなかった。
憂いの深い目をして、彼女は煙草をふかしていた。髪の毛一筋ほどの傷もほんの小さな刺青もない真白い肌をさらすドレスが、彼女を高級な娼婦のようにプライド高く見せている。
追われているジョルノとしては直属の部下とこんなところで出会えたのは幸いだった。そのはずだった。彼女の任務にはボスの身辺警護も含まれている。…ジョルノはその場から動けなかった。シックなワインレッドのハイヒール、細いシガーをくわえる彼女の唇。彼女は彼の知っている部下、ナマエ・カタカナとはまるで別の女のように見えた。彼には間違いなく彼女だと分かるのに。

結局彼女に話しかけることなくジョルノは店の外へ出た。幸い殺し屋は地味で下手な追跡を執拗に続けていたところを見ればスタンド使いというわけでもなさそうだったのだし、わざわざ非番の彼女を捕まえて仕事をさせるほどのことではないのだ。部下のプライベートに首を突っ込んでは野暮ではないか。ジョルノは彼らしくもなく心中に言い訳を並べて、それから短いため息をついた。

遠目に見た彼女の目はいつもよりさらにひどく謎めいて見えた。普段は闊達な彼女のあの憂い顔が、まだ青々とした記憶の野に杭のように打ち込まれて抜けなくなってしまうような、そういう予感がジョルノを震撼させる。


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「あなたがジョルノ・ジョバァーナですか?」


ジョルノが自分を殺しに来る何者かを誘い込むつもりで入った裏路地に、その男は立っていた。街灯の光の下に頼りない様子でぼうっと立ちすくみ、今にも泣きだしそうに目元を歪めたその男はもう一度同じ質問をくり返した。あなたがジョルノ・ジョバァーナですか。彼は、ジョルノをしつこく追ってくる者とは別の男だったが、名前を知られていることが引っかかる。

「俺はナマエの恋人でした」

男が生気の薄い声で発した名前で、ジョルノの脳裏につい今しがたの彼女の横顔が浮かぶ。

「彼女がカタカナの生き残りだと知っていたら多分こんなばかな恋はしなかったんです。あのカタカナの娘だと知っていたら、こんなことは絶対に」

男の肩口に吸い付くように別の男が暗がりに現れた。寄り添うように現れたその男は白目をむいて痙攣している。次第にその震えは大きくなり、男の顔面が割れた。生々しい人の皮の下から出てきたメタリックな肌を見てジョルノは不意に気付いた。追ってきた殺し屋はこの男だったのだ。
顔の半分にまだ人間の顔を残しているそのスタンドは、にぶく鉛色に光る顔をジョルノに向けた。まっすぐに彼の方へ向かって突進してくる。

「あなたの顔をください、ジョルノ・ジョバァーナ。そうしたら俺は彼女の崇敬する彼女のボスだ」

スタンドの背後から男の悲壮な声音が響いて、狭い路地裏でその声はあちらこちらに反射してジョルノの頭を揺らすようだった。4本しか指のない、鉛色の手が迫ってくる。
ジョルノは迷わなかった。護身用にとミスタから持たされた銃を抜く。きっとこんなものでなくても、スタンド同士で戦ってもきっと勝てると分かっていたのに、彼は彼らしくもなく、相手に対して怯んだのでそうした。
取り乱して隙だらけの男の腹と足、胸の少し下に立て続けに3発、銃弾は食い込んだ。ジョルノの目の前で動きを止めて崩れ落ちたスタンドが、少しずつ輪郭を揺らしながら見えなくなっていく。

──ナマエ。ナマエ・カタカナ。愛しているのに。

もはや声もない男がスタンドの口から嘆くようにささやく。ナマエ・カタカナ。故人への愛を捨てることができずにいる女。今やジョルノの手の中で泳ぐことを生きることのすべてにした彼女。
不気味に静かな夜が、立ち尽くす彼の足元に敷き詰められていた。



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