小話 | ナノ



あの日に死んだときの姿のまま、彼女は黒髪を翻して彼に背を向けた。彼を見もせず肩越しに早く来ないと置いてくよ、と変わらずに明るい声。


―さすがにもう、俺を愛してるだとかいう世迷言は言わないか。
―妻子持ちの四十路が何を言うのよ。ふざけてるとむしるわよ。


肩の後ろへ流した髪の毛先をいじる指先の癖。顎を引いてまっすぐに歩く姿勢の良さ。

「ねえ、空条。あなた年取って逆に若返ったんじゃあないの」

十八の頃の姿のまま。彼女は笑う。変わらないな、と思わず口に出しかけて、彼は不意にそのばからしさに気付く。変わりようがない。彼女にはその姿から先の未来がないのだ。

「四十路に向かって言ってくれるぜ」

四十路、と自分が先に言い出した単語を復唱して、彼女はまた笑う。

「やっぱりあなた、その面構えもう詐欺ね。十七の頃より若いわよ」

けらけらと高い笑い声は、遠い記憶の五十日間のそれにぴたりと合わさってぶれない。当然なのだ、彼女にとってそれは。彼女の時間は止まっているのだから。

「ねえ、久しぶりに彼に会いたいんだけど、どう?だめ?」

期待で弾んでいる声は、初めから彼が断わることなど考えていない。闊達な彼女に懐かしさを覚えつつも、あの日々の延長にいる彼女を相手に急に自分が老いたように感じられて、彼は苦笑する。
お望みのスタープラチナを目の前にした彼女は何のためらいもなくその広い胸に飛び込んだ。

「久しぶり、相変わらずいい男ね、スタープラチナ」

とびきり甘い声を出して、彼女は相手の首に細い腕を巻きつける。
生前、恋人だった彼に対してさえ彼女はそうやって甘い言葉をささやくようなことなどめったにした試しがなかったというのに。

「ねえ、あなたはちゃんと満足して死んだ?」

スタープラチナの腕の中、彼女が笑う。承太郎は不意に混乱する。あの日に死んだ彼女の目の前にいる。はたして本当にそうなのか?彼女は何者だ。
なまえは生前の恋人に対してそうしていたように、スタープラチナの頬に指先を伸ばして撫で、いとおしげにその名前を呼んだ。あの日々をなぞるようにそっと。
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