エレベーターに乗るまでの間は終始無言だった。掴まれたままの手がじりじりと熱い。 エレベーターが止まると、何階かも分からない内に廊下に連れ出されてあっという間に持田さんの家の中にいた。あっという間に感じたのはたぶん今さらのように回り出したアルコールのせいだ。施錠の音で私ははっとする。どうしてこんなことに。 「持田さん」 「目、うるうるしてる。…ハハッ、かーわいい」 この人は急にどうしてしまったんだろう。いつの間にか自由になっていた手を握り締める。持田さんはさっさと靴を脱ぎ捨てて、玄関先で呆然としている私に振り向きもせず廊下をすたすたと行ってしまう。置いて行かれて、私はこのまま帰ろうかと考える。すると持田さんが奥の方から戻ってきて、何してんの入れば、と軽い調子で言う。うっすらと苛立ちの残る声で。すいませんのろまで。立ち尽くしている私の目の前に戻ってきた持田さんは、ほら、と私の両手を引いて座らせる。ゆっくり座り込んだ私に、ささやくようにかすれた声で彼は言う。 「今度は自分で脱げよ」 「…靴を?」 「…服も脱ぐ?」 彼は意地悪く笑って私にデコピンを食らわすと、また立ち上がって部屋の奥に行ってしまった。その後ろ姿を目で追う。 なんだか持田さんじゃないみたいだ。…あの人は誰だろう。 さすがは日本代表選手の部屋と言おうか。間取りは2LDKほどの彼の部屋は広くて、あまり生活感がない。 リビングの入口でまたしてもぼうっと立ち尽くす私のそばに、持田さんはやってきて顔を覗き込む。 「初めて会った日、お前マジでめちゃくちゃ酔ってて、正直声かけなきゃよかったってスゲー思った。だってお前吐くわ泣くわで、超げんなりでさ」 また私の両手を引いて、大きなソファの方へ誘導する持田さんについていく。座らされて、片手だけ持田さんに預けたまま私を見下ろすように立っている彼を見上げる。その節は大変申し訳ありませんでした。我ながら呂律も怪しい上に棒読みの謝罪が口から出た。それはもういいよ、と持田さんは呆れたようにため息。 「なのに、そういう顔するし。シャツ一枚になるまで剥ぎ取ってベッドに入れといてやったのにのこのこ起きてくるし」 私の手を握ったり指をいじったりしながら持田さんが続ける。ぼやける頭の奥に、なんだか今さらのように、あの残念会の日、家に帰りついてからのことがまざまざと思い起こされる。なんだか思い出してはいけないことを思い出そうとしているような気がした。 「しまいには、一緒にいて、とかつって」 ![]() ひどく疲れていて眠いのに、不思議とはっきり耳に入ってきたシャワーの音で目が覚めてしまった。さっきのひとだろうか。…何かしたわけでもこれからするわけでもないけど、知っている人でもないけど、なんだろう、行ってほしくない。 ―あれ、おねーさん起きたの? じゃあ俺帰るから 彼はちょうどタオルを髪にひっかけて乾かしているところだった。面倒くさそうに目を眇める彼の、私は名前も知らない。 ―…ななし、です…おねーさんじゃなくて そう呼んでください、と言った端から私は彼のパーカーの袖を掴んでいた。今日初めて会って親切にしてもらって迷惑をかけたのに、まだもう少し。 ―…一緒にいて そう、一緒にいて、ほしくて。 「しかもあとで覚えてねーとか言うし」 「…思い出しました、今」 「あっそ?よかった」 何がよかったのか聞こうにも、あんまり恥ずかしいので聞く気にもならない。酔った勢いって怖い。そんなことをして持田さんとお知り合いになったなんて、世の持田さんを愛する女性サポーターの皆さんなんだかごめんなさい。やましいことはひとつもありません。持田さんはソファの前に置いてあるガラス張りのテーブルに座ってしまうと、ますます私の左手をもてあそんでいる。私は自由な方の右手で頭を抱えた。目が回る。やましいことはひとつもありません。 「まあ何にせよあんなあられもないところ見てんだから、俺ら仲良しじゃん、なあ?」 「……人を脅すときの顔をしてますよ、持田さん」 私のため息を無視して、持田さんはとっとと認めろと言わんばかりに私の指にその薄い唇を押し当てて、それからゆっくりと歯を立てた。 ×
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