すごい偶然ですね、と白々しく言った私を一瞥。持田さんは私の友人を見た。彼女が煙草を灰皿に押し付けて丁寧にあいさつする。どうも、芦立です。持田さんも低い声で、持田です、どうも。彼女が美人だから気持ちは分かるが、持田さんがあまりにも彼女を凝視するので私はなぜだかとても不安になり、持田さん、と声をかけた。 「居酒屋で会うなんて珍しいですね。どなたかと?」 「ひとりじゃ来ないだろ、こんなところ」 「打ち上げとかで?」 「…まあ、一応。あっちの卓」 彼女と、芦立と、持田さんを引き離さなければいけないような気がして私は異様に逸っていた。持田さんが指さした方を特に興味もないのに首を伸ばして窺って、盛り上がってますね、と愛想良く言う。 「じゃあ一緒に飲めば?女いねーからむさいんだよ」 彼は既に私の手首を掴んで、連れて行く気でいる。元は私とこの店にいるせいで迷惑をかけているのに、私はそのときそれをすっかり忘れて芦立に向かって目線で助けを乞うた。それが、一緒に来てくれるよね、という類のSOSなのかもう店を出ようといった訴えなのか、自分でも分かっていなかった。こんな、外で持田さんと遭遇すること自体がイレギュラーなことで私はうろたえていた。彼は私が家にいると勝手に襲来する、現象のようなものだったのだ。持田さんは私にとってもしかしたら今日来るかも、という心構えがなければ迎え撃てない相手だった。 彼女が煙草を趣味のいいバッグに無言でしまい込むのを見て、私はとっさに声を出した。 「持田さん、私たち、もう帰りますから」 パッと手が離れた。掴まれていた手首が、じりじりと痛いような気がした。持田さんが怪訝な顔をしている。私は薄手のカーディガンを着た腕に自分のコートを引っかけて荷物を取り、そのままエスコートでもするように斜め横に並んだ芦立と連れ立って会計に向かった。 店を出たところで芦立が、大丈夫か、と優しく聞いてくれたことがとても申し訳なくて、あまり酔っていないはずなのに目が回った。 「ごめん、急に出るとか言って」 「いいよ。気付かなかったけど結構長いこといたみたいだしさ」 気を遣わせてしまっている。そう思ったけれど今回は甘えることにした。もう一度ごめん、と謝ってから、また近い内に会おうと約束した。次は私が奢るからと言うと、彼女はやっぱり優しく笑って、楽しみにしてるよ、と言った。 「あ、そういえば確かに俺様イケメンだったね、持田さん」 「でしょ。遭遇したら死んだふりしないとだよ」 「熊か」 最後に軽口を叩き合って彼女と店の前で別れたあと、徒歩で帰れる距離の家に向かってとぼとぼと歩き出す。なんだか変な酔い方をしている。吐き気はしないのに少しも歩きたくない。 「おい」 背後からかかった声は、すぐに持ち主の面倒そうな表情を連想させた。振り返る前に息を大きく吸った。死んだふりしよう。 「何で逃げてんの」 逆に何で追いかけてきてんの。歩みを速めた私に苛立ったように彼はまた、おい、と面倒くさそうに。 「ななし」 私が立ち止まると、すぐに持田さんは追いついてきて私の前に回り込んできた。街灯の明るみの下、陰影のはっきりとした彼の顔をしみじみと眺めてしまう。私はいったい、この人にいつ自分の名前を名乗ったろうか。そういえばアパートの表札があるから苗字くらいは知っているだろう、くらいにしか思ったことがなかった。何せ呼ばれたことなんか一度もなかったから。 「名前」 「知ってるよ。それが何」 彼はひどく苛立っているようで、酔うと怒る人なのかと、ふと関係のないことを考える。この間うちに来たときはそんなでもなかったのに、と。 「あれ、彼氏?」 「芦立は女です」 「ふーん。…で、俺らは仲良しじゃないんだっけ?」 「そんな風に考えたことないです」 持田さんはもう一度、ふーん、と釈然としないと言った風で生返事をすると、不意に私の手を取って歩き出した。今度は何の気まぐれだろうかと彼の肩を眺めている内に、うちのアパートが見えてくる。もう早くシャワーを浴びて眠ってしまいたかった。 「持田さん」 「なに」 「どこ行くんですか」 そのままうちに帰れるものだと思って手を引かれていたのに、持田さんはうちの前をあっさり通り過ぎてずんずん歩いていく。大して焦っていないのが自分でも不思議だ。持田さんは振り返りもしないで言った。 「俺ん家」 …どうしてこんなことに。 ×
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