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「泣いた?」

持田さんはつまらなそうにそれだけ言った。私は答えなかった。


彼氏が突然うちに来てから2週間と少し。彼に電話をした。会いもせずメールも疎らで電話もしなかったから、意地を張りきれずさみしさに負けて。…いつもと同じ他愛ない話をして、最後に、学生の頃みたいに甘い声で「おやすみ」を言って切ろうと思ったのに。
あては外れて喧嘩をした。彼は、彼の忙しさを顧みずに自分のことばかり考えている私をひとしきり責めたあとに、私が何を言い返しても黙っていた。この人はいつも卑怯な逃げに走っている。何の解決も見ないまま彼が電話口の向こうで寝てしまい、通話は切れた。
こんな仕打ちがあるだろうか。通話終了の音をむなしい気持ちで聞きながら、持田さんだったらこんなことをするだろうかと考えても意味のないことを思わず。




「今度の水曜休みなんだよね、俺」
「…はあ」
「空けとけ」
「は?」
「なに、何か不満?」

相変わらずいつもの通りに向かい合ってコーヒーを飲んでいた持田さんは、機嫌を損ねたように私を睨んだ。
いつも勝手に来るくせに今度はわざわざ休みに合わせて空けておけと。…持田さんの要求は今や、現役の彼氏よりもよっぽど図々しく、よっぽどスマートに感じる。あの人にもこういう強引さがあれば。不毛な物思いは結局、今の男から離れられないと思い知るだけだった。
ふとテレビのそばに置きっぱなしにしている彼氏の腕時計に目が留まって、そういえばあれも返さないといけないのにずっとうちにあるなあ、とぼんやり考える。持田さんがそんな私の視線を追いかけて、同じようにそれを見ていたことには気付かなかった。
持田さんが身体を伸ばして腕時計を取り上げ、これまだ返してないのかよ、と薄笑った。本当のことを言うのはとても悔しかったけど、素直に言う以外はないように思えて、会ってないですから、と答えた。持田さんは少し意外そうに眉を上げ、それからおもむろに腕時計を私の手に押し付ける。

「何で」
「何でって」
「お前、彼氏にほっとかれてんの」
「前からそうだったじゃないですか」

言ってから、自分の声が泣きそうにふるえていることに気付いた。
本当はずっと、ほうっておかれていることがたまらなく堪えていた。さみしいのに日々の忙しさにかまけて忘れようとしていた。

「前から思ってたけどさ、その彼氏お前のこともう好きとかじゃなくね?」

持田さんは本当に正面切って何でもかんでも言う人で、時々傷つく。だけど今日ばかりは予測の範疇だったし、正直そうだろうなあと自分でも思っていたから思ったほどのダメージでもなかった。
自分でもわかっていたことだった。なのに人から言われると反発したくなるのはどうしてなんだろう。

あの人は私を好きなはずだからとしがみついているのは私の方だ。……あの人以外に私を好きになってくれる人なんていない気がして、惰性のまま振り回されている。

「お前も別れれば?」

突然あっけらかんとした様子で持田さんが言った。私は虚を突かれた形で、かれの目を見た。イタズラに誘おうとするガキ大将みたいな、今日は聞いてもいい日なのかもしれない、と不意に思った。

「何ですか、お前もって」
「俺みたいに、さっぱりしちゃえば?」
「さっぱりしちゃったんですか」
「まーね」
「………」
「本当に別れちゃえば?」

持田さんはこたつに頬杖をついて、不意に真面目な顔をする。

「今1本電話入れて、別れる、つって留守電残して着信拒否。…簡単じゃん」


これはそそのかされているのかなあ。私は彼が差し出した私の携帯を。






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