| ナノ



※現パロ



迎えにきて、と酒に浮かれて甘えた声を出した私を周り中がはやし立てた。お店は既に3軒目で、時間は終電間近で、明日は休みで、それから。

−すぐに行くよ

かれは、二つ返事でそう言った。困ったみたいな呆れたみたいなやさしい声を聞いて、私にはかれの苦笑する顔が見えるようだった。
電話を切って荷物から財布を出して自分の飲んだ分をテーブルに置いた。マジで彼氏来んの、と非難がましい周りの声にへらへらと笑って、まだかれが来るまでに時間がかかるだろうからと元の位置に座り直す。隣の同期に肩を小突かれて、デキャンタのワインを勧められて懲りずに飲んでしまった。
酔って大きくなっている皆の話し声を聞き流しながらスマホのディスプレイを意味もなくスクロールさせて、かれからの連絡を待っている。店の下に着いたらきっとワンコールくらいしてくれるはずだ。律儀で優しく、恋人想いのかれ。

店のドアが開くと、カラカラとカウベルが鳴る。彼氏がお迎えに来るんじゃなかったのかよ、と野次るみたいに言った先輩の後ろから、珍しく前髪を下ろしたかれの姿が見えて、私はその場に立ち上がった。下まで来てくれたらそれで構わなかったのに、かれはわざわざこの貸しビルの二階まで上がってきてくれたのだ。
目が合って、私の満面の笑顔にかれが柔和に笑い返す。
「思ったよりも酔ってないな」
「うん、実は」
真正面に立ったかれの身体から清潔感のあるにおいがした。きっとシャワーを浴びたあとだったのだろう。今すぐ飛びついて抱きしめてかれの頭を撫でたいが、野次馬が興味津々にかれに視線を注いでいるのでそれどころではなかった。
家康は、やわらかそうな前髪を落ち着かなげに軽く引っ張って、帰ろうか、と言った。私が頷いてかれの手を握ると、酔っ払いたちがそれをまたしても甲高くはやし立てた。かれの固くてあたたかい手のひらが心地いいのにこんなところにいたらおちおち安心もしていられない。
かれは、私の同期や後輩や先輩に向かって私を連れ帰る旨を伝えて軽く頭を下げ、私のバッグを持ってくれた上で、店を出た。
店のビルのすぐ裏手に駐車場があって、かれはそこにいつものビンテージバンを置いていた。このバンは、機械いじりが趣味の、私たちの共通の友達がカスタマイズしてくれたという中古車で、しょっちゅうかれとかれの友人たちを乗せて色んな場所へふらふらと旅に出て行く。
機械いじりと旅が趣味の私たちの共通の友人ー元親から、かれはだいぶ影響を受けてるなあ、といつも思う。けれど、家康が楽しそうなので、一応は彼女である私をたまにほうっておくことがあることも不問だ。いつもなら。
家康は私のために助手席のドアを開けてくれたのに、ふっと思い出したそのことが気になってしまって私は足を止めた。淡い黄色と爽やかな白のビンテージバン。助手席のドアに手を置いたまま、家康は不思議そうに私を見て、どうしたんだ、と声をかける。
かれとかれの友人たちを乗せて、いつもふらりとどこかへ行ってしまう、私を置いていく車の助手席に座るのはいやだ。
「後ろ乗ってもいい?」
「え?」
くるりと大きな目が、柔和な性格の割に案外気の強そうな眉の下で見開かれた。ワインレッドの派手なパンプスの踵を鳴らして、我ながら威風堂々と後部座席に乗り込んで、脚を組んだ。やっぱり少し呆れ顔の家康が、軽く肩をすくめて、落とした。
「せっかく自分の彼女を乗せるのに助手席に座ってくれないとは、参ったな」
やれやれ、と言いながら家康は諦めたように運転席に座った。私は後部座席から身を乗り出し、グロスもほとんど残っていない口でかれの頬にキスする。後ろからかれの顎を包んだ私の手をそっと撫でて、家康は、「やっぱり前に来ないか」と聞いた。ミラー越しに私を見ているかれの顔を後ろに振り向かせて口にもキスをする。酒臭いだろうに、かれは文句を言わなかった。
もう一度座席にふんぞり返って脚と腕を組み、顎をしゃくって自信満々に「出して」と私が言うと、家康はミラー越しに笑って「どちらまで行かれますか、女王様」
と茶化す。
こんな夜中に呼び出してこんな酔っ払いの相手をさせているのにそれでもかれは気を悪くしたそぶりもせず私を丁寧に扱ってくれている。こんな甘えた女を一人前みたいに。
「一緒に寝よう、家康」
「………寝るだけ?」
かれがミラーの角度を少し変えた。パーカーの袖から出た無骨な、けれど奇妙に整った美しいかれの手。ミラーに血色のいい唇をした私が笑っているのが映っている。
かれのささやいた声は低くて、男っぽい色気がある。
きっと今、かれはいつものような少年じみた愛くるしさにあふれた顔などしていない。
「今、酔ってるから」
「そうだな、そうみたいだ」
かれの目がミラーに映った。見つめられた私の背骨に、快いような、ぞっとするような熱が走る。
「ねえ、あのね、早くふたりになりたいんだけど、どう?」
自分で言って気味が悪いくらいの甘ったるい声が出て、でも家康は嫌な顔をしなかった。ちょっとこっちを振り返って手招いて、私が従うと顎をやさしく捕まえてキスをくれる。舌がほんの少しくちびるの間を撫でていく。かれはにっこりとあたたかなやさしい笑顔を見せると前に向き直って車を出した。
私はその大きな手がハンドルを握るのを眺めながらぼうっとして、やっぱり隣に座ればよかったかもしれないと現金なことを考えていた。


title by 喘息
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