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※学パロ


「聖ヴァレンティヌスなんて人は本当はいなかったらしいよ」

だからバレンタインはめでたく中止らしいよ。
両手にチョコを持って立ち尽くしている彼は、疲れたように、ああそう、と呻いた。

「みんなそういうのにかこつけないと告白もできないなんてかわいいよねー」

女の子同士のチョコは有り難くちょうだいしたし既製品なんかを配りもしたが、今年は片思いをしているでもなし彼氏がいるのでもなし、私のバレンタインデーは平和に過ぎ去ろうとしている。

「ところで回避できなかったんだね」
「まあね」

コンクリートの地べたにあぐらで座り込み、佐助は深く息をついた。はああ、と深く。腕の中のかわいらしい箱や袋をどさどさと無遠慮にばらまくように下ろして、佐助はもう一度ため息をついた。
あしらい上手の彼が毎年こうも疲労するのはひとえにパワー溢れる女子の皆さんの努力の結果だ。ふつう彼をこんなに追い詰めることなどできない。

「手作りってだめなんだよな俺様」
「既製品ぽいのもあるじゃん」
「だめそれなんかOLさん御用達本命チョコみたいな感じだから」
「なんでそういう委細に詳しいのかなあ」

彼が乱暴に扱うのでひしゃげたリボンをいじりながら、瀟洒な箱を見つめる。OLさん御用達本命チョコ。同じ高校生のくせになんて生意気なそして素敵なものを贈るのか。

「食べていい?」
「変なもん入ってても責任とんないよ」
「大げさだな」

リボンをほどき、ネイビーブルーの包装紙を破り、高級そうな小粒のチョコレートを口に放り込む。きついリキュールの味がなかなか快い。

「あーあ、かわいそうにね女の子たち」
「横から取ってった奴には言われたくないんじゃない」
「そりゃそうだ」

軽く笑ったあと、佐助がやはりくたびれて笑顔のひとつもないことがかわいそうに思えて、私はリキュールのチョコレートを一粒つまんで彼の口元へ持っていった。

「毒味済みだし安心でしょ」
「やぁだね」

そこでようやく佐助は笑い、いやだと言ったくせに私の手からチョコを食べた。警戒心の強い鳥が自分の手から餌を啄んだような感動になんだか胸の辺りがぞくぞくしたけれどそれを口に出すほど私もあほではなかった。

「どうせお前からはないんだろうしね」
「私に逆チョコしたと思えば」
「人からもらったもんですんなよって話な」
「本当にそれな」

佐助は笑った。
バレンタインなんて浮かれたイベントに踊ることのできない自分がなんだかとてもかわいそうな奴に思えて、私はどこの誰の手作りとも分からないガトーショコラを口に入れた。とてもおいしい。

「誰かにあげた?」
「友達に」
「男は」
「別に」
「前から思ってたんだけどさ」
「うん」
「俺がお前のこと好きなの、知ってるっしょ?」
「うん」

彼本人がにおわせていたことであり共通の友人がそれとなく口の端に上らせることもしばしばだったので私はそのことを知っていた。
私から何か言い返すこともなくずるずると続く友人関係は私ひとりにはとても快適だった。彼がこのままでいたくないのだろうなあとなんとなく感じてもいる。

「余計な期待持たせないようにみたいな気遣いなんだったらばっちり的外れだからね」

チョコの山からまたしても現れた高級感漂う包装を破りとる私を彼が見ている。
純粋なカカオのビターな味わいを舌に載せ、私は自分で彼に何も贈らない理由を考える。女の子たちのエネルギッシュな色恋、佐助の疲れきった横顔、熱意に乏しい市販のチョコレート。
彼が女の子からもらったものを食べる手伝いをして彼の口にチョコを運んでいる自分をどう正当化しようか考えている。

「……これおいしい」
「名前」
「ほら」

佐助の薄いくちびるの間に押し込んだチョコレートの上に自分のくちびるを重ねる。
バレンタインデーなんてわざわざこの日って選ばないと告白できないなんてばかばかしいしそれに殉教者聖ヴァレンティヌスなんていないそうなんだからあやかる誰かもいないんじゃよっぽど。

「名前、もっと」

佐助の手が後頭部に回って私はひとりで胸の奥のざわめきにおののいていた。彼を好きだと認めるのはとてもこわかったけれど、今年のバレンタインもまだ一応半日弱は残されていることだしその件に関してはゆっくり解決していくことにする。
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