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下町の酒場でいつものように用心棒の仕事をしている最中に助けた御仁が、帝都には行商で来ているのだと言って、私の腕を見込んだか何かでダングレストと帝都、往復の道中の護衛を頼まれた。実際、酒場でごろつき相手にするよりは良い金になるし、町の外にも出られて、ちょうど良かったなあなんて呑気に構えて仕事に当たった。雇い主は良い人だったし護衛仲間もとっつきにくそうな外見のくせになかなか気さくな人たちだった。これは良い仕事に行き会った、と喜んでいる内にあっという間に大した問題もなくダングレストに着いた。
三日間の滞在中雇い主が商談に出ている間はすることもないし寝るかと護衛仲間ふたりが言っている横でただひとり、私だけはダングレストの街に繰り出した。遊ぶのではない。こういう夜の街では割に良い働き口があったりするのだ。お前も大概貧乏性だなと笑われたがまあ致し方のないこと。下町の小娘はいつだってジリ貧だ。





それで短期バイトとして入れてもらえることになった酒場で、(そんな大それたことではないが)事は起きた。





結構いかがわしい雰囲気の酒場だし、酒場の二階は店の女が客を取るそういう宿だけど、店のお姉さんたちは新参者にも優しい気さくで素敵なお姉さん方だった。簡単な配膳作業だけやって一日目が過ぎ、二日目は昨日と同じ客にケツ触られて、まあそれでも私が客を取って二階に行くことはなかった。まあバイトだし。そこまでやんなくてもいいわよって女将さんも言ってくれたし。
三日目。明日は帝都に戻る。結構金になる仕事だったとこの一週間ほどを振り返っていた矢先だ。

店の馴染みだというレイヴンなる男性に連れられてやって来た金髪に見覚えがありすぎて一瞬めまいがした。次の瞬間には店の端から端まで走って逃げたくなった。こんなときに限って、勝手口から一番遠いテーブルのそばを回ってた自分が恨めしい。
容姿端麗の見かけ倒しの王子様を囲んで、店のお姉さんたちがきゃあきゃあ盛り上がっている。その後ろに紛れるようにこっそり動き回る私はさながらニンジャのようだった。冗談じゃない。こんなところで働いてるのをフレンに見られたら説教されるに決まってる。もちろんこういう仕事をあいつが蔑んでるとかじゃなく、純粋に私の心配をして下さってのことだと臆面もなく言うだろうから嫌なのだ。カウンターに引っ込んでじっとしていよう、と思っていたら、またしても遠くのテーブルから私の偽名を呼ばわる声である。勘弁してくれ。

結局またこっそりお姉さんたちの後ろを通って、なるべくフレンたちのいるテーブルと距離を取って私を呼び付けた客のところまで行くと、これ下げて、ってそれだけ。安いビールのジョッキが三個。何故呼んだ。
とりあえず営業スマイルで適当に応対して、ケツ触られようが腰撫でられようがいなしてカウンターに戻る。なんだ、なんかすごい、疲れたぞ。ぐったりしてカウンターの中でぼうっと突っ立ってたら、フレンと同じテーブルに居た、そう店の馴染みのレイヴンさん?がカウンターに来た。ああ、お姉さん方みんなフレンに集中砲火だもんね。紫の羽織りの割と小柄な彼は、カウンターの私と目が合うと、こう言っては失礼だが、へら、とちょっと情けない感じで笑った。


「何かお飲みになります?」
「あー、うんお願いしマス」


向こうの方で一際高い笑い声が上がった。確認するまでもなく、やだーフレンってば真面目ーとかなんとか、聞こえてくる。お姉さんたちのボルテージは最高潮のようだ。


「あーあ、はしゃいじゃってますね、お姉さんたち」
「ねー?おっさんほったらかしにされてちょっと泣きそうよ」
「まあまあ、元気出してくださいよ、レイヴンさん」


どうぞ、とラムを出した私の手を、まず彼は注視した。そこから徐々に視線を上げて、名前知っててくれたんだ?とちょっと意外そうに言った。


「馴染みのお客さんだって伺いましたよ」
「…ああなるほど、そういう。キミが俺に興味を持ってくれたからとかでなく」
「はい。残念でした」
「おっさんちょっと期待しちゃったじゃないの」


ちょっと拗ねたように口をすぼめる動作がやけに子供っぽい。私は思わず素で笑った。
レイヴンさんは、口を開くとするする言葉の出る人で、少しの間そんな調子で他愛ないおしゃべりが続いた。隣来て一緒に飲んでよ、と言われて普通に座ったのも、まあいいかなんて思わせるレイヴンさんのすごさかもしれない。ある意味。


元々そんなに明るくない酒場の、カウンター席にふと影がかかったのは、若干酒が入ってほろ酔いの頃合いだった。あれ、と思ってランプの灯りを確認しようと顔を上げたら、目の前によく知った幼なじみの顔がある。
レイヴンさんと飲んでたのに、なんでフレンの幻覚が、と眉根を寄せたら、幻覚が口を開いた。


「お話中にすいません、レイヴンさん。こちらのお嬢さんお借りして行ってもいいですか?」


私が、え、と引きつり笑いをした後ろで、だいぶ酔いが回ってきているらしいレイヴンさんが、えーっとそれこそ子供が駄々をこねるような声を出した。


「ちょっとちょっとぉ、女の子みんな若者に取られちゃったのに、せっかく一緒に飲んでくれてた子まで持ってっちゃうわけ?ずるいじゃないのー」
「お酒なら、あちらの皆さんが一緒に飲んでくださいますよ。ともかく彼女は僕に譲って頂けませんか?」


レイヴンさん、とどこかたしなめるような声音でフレンは言った。手首を捕まえられた私は背筋を走る緊張で身震いする。やべえ、すごいナチュラルに見つかっちゃってんじゃん。これお説教コース?マジで?明日はもう帝都に帰るんだから勘弁してよ。


「ふーん、フレンちゃんもなかなかやるのねー。お持ち帰り?」
「上の部屋が空いてるそうなので、そちらに」


あっそう、と案外あっさりレイヴンさんは席を立った。え、嘘でしょ。もっと食い下がって引き止めてくれレイヴンさん、私の明日の旅路がかかってるんだ、いや言えないけど。


「じゃあ行こうか」


白々しくも私が名乗っている偽名を口にしたフレンが、噂の悩殺爽やかスマイルをする。フレンファンクラブの皆さんが揃って卒倒するという例のあれ。あんたが今さら私にそんな顔したって騙されないことくらい分かってるんじゃないのフレン、とは言えずに、初めて登る宿屋二階への階段を半ば抱え上げられるような格好で登る羽目になった。言っておくが私には幼なじみから金を巻き上げるような趣味はないんだからな!と叫びたかったけど、まだお人違いでは?で済ませられるかもしれない可能性がなきにしもあらずな雰囲気だから黙っておくことにした。





部屋に入るとやや乱雑にベッドに下ろされた。雑だよ、扱いが。酒場のお姉さんたちから借りた露出の高いスカートの裾を引っ張る。中身見えそうだ。フレンの目つきはユーリよろしくなんか悪どいこと言い出しそうだし、私には明日からまだ護衛任務があるのに。ああついてない。


「それで君は、こんなところで何をしてるのかな、名前?」
「…………お人違いでは?」


フレンの深い深いため息が、ただでさえ狭い安宿の一室に浸透した。息が詰まる。


「それでまかり通ると思ってる君の行く末が恐ろしいよ」
「何のことでしょう?」
「いつまで白を切るのかな」
「………………怒ってる?」
「……少しね」


もう一回ため息をつくと、フレンはベッドの端に腰を下ろした。苦労が伺えるご面相ですことと思って私はフレンを見ていたけど、フレンからはあんまり顔を見ないでほしい。今さらだけど私めちゃくちゃケバい化粧だから。


「君は、こういう店で働くのがどういうことか、ちゃんと分かっていると思ってたんだけど」
「…あのねフレン、私ここで働いて三日だよ。わざわざ上の階に連れてく客なんかついてないの」
「現に、君は宿の二階に居て客とふたりきりなんだって分かってる?」


フレンは言うが早いか慣れた所作で私をベッドシーツに沈めるように倒した。客じゃなくてフレンだよ、と言おうとした私の口を、フレンがその口で塞ぐ。こんなような女としての扱いをフレンから受けるなんて予想外だった。びっくりを通り越して呆然としてしまって無抵抗で転がっていたら、フレンは当然みたいな顔で私の上に乗り上げた。あれ、嘘でしょ?


「長旅で溜まってんならわざわざ私じゃなくてもいいんじゃない?隊長さん」
「………言いたいことはそれだけかい?」


これで相手がもっとどうでもいい奴だったら、殴り飛ばして踏みつけてふざけんのも大概にしろとか喚いて部屋を出ていくくらいのことはできただろうに。
でも、私を見ているフレンの顔に終始余裕なんか少しもなくて、なんかそれが嬉しくて、終わったあとになってもまあいいかなんて言える気がして、気付いたらいつの間にか素直に抱かれてやっていた。

ずっと知っていたはずの男がこんなに良い男になっていたことが本当は少なからず衝撃で、きっと娼婦の夜はこのくらい長いのだろうなと、フレンの金髪に指を通して弄びながら、そんな関係のないことを思ったのだ。



□■□




「誤解のないように言っておくけど、僕は好きでもない女性をわざわざ選んでこんなことができるほど器用じゃないよ」



一通りの事が終わったあと、フレンが言った。私はフレンに背を向けたまま無言を返す。
確かに、誠実が服着て歩いてるようなフレンみたいな奴に、わざわざ女買うなんて真似は(まして私は幼なじみなのだ)、まるで似合わない。こんな言い方は可笑しいが、それこそ、フレンが私を好きでもなければ、有り得ない話なのだ。この男の貞操観念はまるで鋼の如く。付き合いが長い分、そういう面倒な性格も多少は知っているつもりでいた。
まさかフレンに限って私を好きとかあり得ないって卑屈になってた何年間かを返してほしいような気分で、でもこれも私の自意識過剰だったらどうしようとか思いながら、私は安宿のベッドシーツをぐしゃりと掴んだ。

「私だってそうだよ」
「…名前?」
「フレンじゃなかったら、蹴り入れて窓から逃げてる」


フレンやユーリが志やら正義やらを掲げてる横で何にも持ってないのは私だけだった。ふたりが、どこか遠い国のお伽噺に出てくる勇者みたいだと思った。傍に居られないと思った。諦めようと思った。何回も。
ふたりはどんどん遠いところへ行ってしまうから、私は私の、私の周りにしか無い網の目を張ろうと思った。まあその結果が尻軽女じゃどうしようもないんだけど。
だからフレンは知らない。ユーリだって知らないんだからフレンが知ってるわけないけど、私がずっとフレンを好きだったなんて知らないのだ。何回も諦めたのに、諦めたくせにまた何回でも好きになる。私は空前のバカだ。


「名前、それは、僕に都合の良い意味で受け取っても構わないんだね?」
「お好きにどうぞ」


ああ恥ずかしい、と唸った私の首の裏に鼻先を寄せたフレンがそれは満足そうに喉の奥で笑った。耳の裏に柔らかい唇が押し当てられた直後、王子様の皮を被った幼なじみが愛してるだとか言い出すものだから、なんかもう限界超えた気がした。オーバーリミッツ。
…ほんとう、もう、レイズデッドかけてあげるから今、0装備の状態のきみに秘奥技かましてもいいですか?




長い長い娼婦の夜



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