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京都に帰ってきて、久しぶりに会うて第一声、その人は笑顔でこう言う。

「お帰りなさい、三人とも」

彼女はまっすぐ坊のことを見てやさあしく笑って、俺は、嬉しそうな顔してまあ、と。少し呆れた。この人、いっつもそうやな、と呆れるかたわらで少し羨ましいのも本当のことで、なんや頭が痛い。……外でワーワー言うてる蝉みたいな音が、頭の中でひっきりなしに。


別にあの人が俺の初恋の人とかそういう甘酢っぱい何かがあるわけでは、ない。一応、好きかもくらいに思ったことは一回か二回で収まらんけども、でも金兄との絡みやらいかつい彼氏やら見るとあっさり萎えてもうて。せやし別に好きとかやのうて身近なきれいなお姉さん程度のそういう気持ちで「好き」やねんなと適当に納得して、それが中3の中期。名前さんは京都の出張所の勤務だけやのうて、日本支部からの要請で国内の方々に派遣される祓魔師で、その頃は特に京都にはめったに帰らなかった。俺は特に思うとこもなく、まあそういうことやったんやなと自分で納得することもまあまあできた。
なのに、久しぶりに会うたら今さらやっぱり好きなような気がしてきて、なんかもうどうしようもない。



「アホ言うてんと早よ行け、ドアホ」
名前さんが、何やかや言って彼女を引き留めとったらしい金兄に向かって笑顔で毒づく。……せめて名前さんが金兄とタメちゃうかったら良かったんやけどなあ。あの二人仲良すぎてキモいわ。

「名前さん」
「廉造」

振り返った名前さんが笑う。何度見ても派手な頭やなあ、と呆れる彼女の手が俺の頭に伸びてくる。細い手首やなあ、と俺はいつものチャラけた調子に口にも出せず、着物の袖から現れた手首を見た。
白い手はこめかみの辺りの髪を撫ぜて、名前さんがまた笑う。

「これは八百造様が怒りはんのもしゃーないなあ」
「名前さんて……相変わらず思春期の複雑な男心を理解してくれへんのですね」
「えー?」
「こない犬猫みたいに扱われて俺、かなしいっすわぁ」

ようやく口が回って喋り出した俺を見上げながら、名前さんは俺の髪を撫ぜた。
ずっと、あなたを好きになってもしゃーないなあと思ってなんとなく無意識で諦めてきた俺のことをあなたは知らなくて当然で、俺はそれが今さらどうしょうもなく苦しいのと悔しいのでもうなんか頭痛うて。
ほんのり、ひんやりした彼女の手を掴んでしもた。……蝉が鳴いとる。ギーギーやかましく。名前さんは動じた様子もないまんま、廉造、と俺の名前を呼ぶ。

「きれいな黒髪やったのに、さみしいわ」

あなたの声はいつでもやさしい。あなたはいつも俺や子猫さんや、特に坊には殊更格別甘くてやさしくて、そんで昔から変なとこでダメな人で。あんないかついだけのダメ男に引っかかるとこ直してほしいのに、でもそんなことしてもうたら俺みたいなしょーもない男にも望みのうなってしまうし、もう本当に、……あなたのこと好きなだけやのに、つって。

「名前さん」
「うん?」
「知っとったと思いますけど、俺、あなたのこと好きです」

名前さんはなぜか不意に泣きそうな顔をした。
蝉がうるそうてたまらんくて、そしたら何も考えんとむちゃくちゃにこの人を抱きしめたなって、掴んだ手を引っ張って引き寄せて、この暑いのに抱きしめてみると名前さんは存外抵抗も何もせんと俺の腕の中でふるえとるようで。嘘か冗談か夢なんか知らんけど、とにかく、彼女が一言。
廉造、と。とびきり甘ったるい声で。そんな風にあなたが俺を呼んだことなんて、今まで一度も。
名前さんの顔を覗き込んだら真っ先に唇に目が行ってもうて、ほんで目が合って。そらまあそんなもん、チューしてまいますやん。恋なんすもん。

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