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話がある

端的にそれだけの、読点すらないメールは赤崎からだ。そのひとつ上には女友達のにぎやかな愚痴のメール。先輩に食事に誘われてなまじ相手が先輩なもんだから断りきれず行くことになってしまった、彼が来るまで居心地が悪いから構って、と。
私は友達のメールに慰めの言葉と彼女の好きな人の話を返した。3分ほどで彼女からは返信があって、やりとりは5往復くらい続いた。私は赤崎のメールを無視した。
彼女の待ち合わせの相手が来る頃に彼女は付き合ってくれてありがとうと礼を言ってメールを打ち切った。私は重たい身体をようやく持ち上げて、風呂に湯を張ることにした。


赤崎は怒っているのだろうか。
私があっさり彼を見放したと思っているだろうか。彼の立場を理解しないばかで自分勝手な女だと思っただろうか。
湯を張った浴槽にバスバブルを放り込む。最近はシャワーで済ませることが多かったからいつもよりゆっくり入ろう。疲れている。だから彼のことを考えてしまうのだ。

そう思いながら、鳴ったら分かる位置に携帯を置いている。赤崎が音信がないのに痺れを切らせてもう1通くらいメールをしてくるかもしれない。そういう期待をしている。いつもそんな甘い考えは裏切られてきたのにまだ。

「…甲斐性なし」

浴槽の中で膝を畳んで抱える。呟いてからむなしくなった。別れたいとはっきり言えなかったのは、悔しいことに私が赤崎を相も変わらず好きだからだというのは自分でも分かっている。私の願望をひとつも叶えてくれないと文句を言いながら、私のわがままを叶えてもらうための相手ではないとも思っている。赤崎遼という男は、そこに立っているだけで、振り返ってこちらを見るだけで、私にとっては意味のある男だった。それを認めるのはひどく億劫なことだった。

突然、携帯が鳴った。たったの1コールしただけで携帯は力尽きたように静かだった。ランプが時々、赤く点滅している。赤崎だから赤だなんて我ながら安直だ。濡れた手でさわるのがはばかられたので風呂を切り上げることにして、バスタオルを取った。携帯を開くと不在着信の文字とアイコン。当然のように赤崎からの電話だった。部屋着に着替えながら、この中学生のいたずらみたいなワン切りにかけ直しをするべきか考える。特にこちらから話すようなこともないし、ついこの間のあれで、決定的な一言以外は言いたいことも言ってしまった。
携帯を手に持ったままベッドに座る。明日の天気でも見ておこうか。ついさっきの赤崎のものも含めて着信履歴を全消去して、充電器を携帯に差す。明日は3限からの授業だし少しはゆっくりできる。そう思ってストレッチを始めようと携帯を枕元に置いたときに、インターホンが鳴った。
…こんな時間に?
怪訝に思うかたわらで私は枕元の携帯を見た。期待してしまう。そんな甘いことを考えて出て行って客が犯罪者でめった刺しにされて強盗されたらどうしよう。物騒な妄想を働かせながら、結局玄関まで出て行ってドアスコープを覗いた。

赤崎だった。私が見ているのが外から分かるのか知らないが、赤崎はそもそも眉間に寄っていたしわをより深々と刻んで、魚眼のように歪んだレンズ越しにこちらを睨む。なんだか目が合ったような気がして一歩後ろに下がる。なんだかドアを開けようという気持ちになれない。借金取りに押しかけられたらこんな気持ちかもしれない。すると、ぼこん、とドアが殴られた。これ本当に借金取りか強盗犯の所業だろ。世の十何年来の幼なじみってみんなこんな感じなの? 言い様のない虚脱感で肩を落としてしまう。
元々怒ったり呆れたりしていたのは私だったはずなのに、なのに、なぜ私がこんなにびくびくしているんだろう。
またドアが、ぼこ、と音を立てた。今度はなんとなくにぶい音だった。ドアスコープを改めて覗き込むと、ドアに額を押し当てるような格好で赤崎がうなだれている。今開けたら怒るだろうなあ、と思って眺めていたら、赤崎の空いた手が再度ドアを叩いた。
赤崎は、いくら深夜だからっていつご近所さんに見られるとも分からない場所でこんなみっともない真似ができる男じゃない。私はインターホンの受話器の方へ取って返し、そこから赤崎、と声をかけた。受話器からは即座に「何だよ」と応答する赤崎の声がした。

「開けるから」

そうかよ、と力ない様子で赤崎が言ったのを聞いてから受話器を置く。ドアを開けに、小走りになる。いつだって私の甘い期待や願望になんか興味もなかったような男が、今さらうちにやって来てどういうつもりなのか。別れ話か酔っ払いか、一番期待してはいけない謝罪か。今までそうやって甘いこと考えて痛い目を見て泣かされてきたくせに。
ドアを開けた先に立っている赤崎は、何かやらかして謝罪に来た中学生みたいにうつむいて、私とろくに目を合わせない。重たく沈黙する玄関先で、私は自分から何を言うこともなく、赤崎の丸出しの額を見た。

「まだ、怒ってんのかよ」

私はなんだか拍子抜けしたような気分だった。とっとと開けろとか、そういう傍若無人なことを言うかと思ったのに。
怒ってんのはそっちでしょ。言い返そうと思った言葉がそのまま喉に詰まった。

「入んないなら帰りなよ」

それでも一言、辛辣な言葉はちゃんと口から出ていった。一瞬、元々キツネ目気味の赤崎の目が吊り上がる。あ、怒った。なんだか私は冷静だった。
赤崎は無言で身体を玄関先に押し込んできた。ドアが閉まる。髪をかき上げようとした私の手首を、赤崎がまるでひったくるみたいに掴んだ。驚いてうつむけていた顔を上げる。赤崎は眉間にぎゅっとしわを寄せている。

「悪かった」
「…は?」

手を掴まれたまま、身体はゆっくりと壁に押さえつけられてしまった。謝っている男の態度か。
赤崎に、抱きしめられるなんていつ以来だろう。ぼんやりと広い背中に腕を回して、抱きしめ返す。彼は不器用に私の耳元に頬をすり寄せた。

「…後ろめたいんだろ。なら、置いてくなよ」

赤崎は、頼む、とは言わなかった。でも私にはそう聞こえて、………だめだ、やっぱり好き。

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